仙台東照宮多くの国指定重要文化財がある仙台東照宮は伊達家守護神として、江戸時代から篤い信仰を集めています。御祭神は徳川家康公、仙台藩2代藩主伊達忠宗公が徳川家への尊崇と幕府への忠誠心を示すために創建したと伝えられています。
(2016年1月 3日に書いた記事をもとに写真を入替え再編集しました)



東照宮境内文化財案内図東照宮境内文化財案内図をみると国、県、市指定の重要文化財が多くあることが分かります。




仙台東照宮
R仙山線の東照宮駅から線路沿いの小道を抜けていくと東照宮の鳥居が見えてきます。


仙台東照宮 狛犬
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仙台東照宮 鳥居重要文化財の石鳥居です。案内板によると「伊達忠宗公の奉納によるもので、明神鳥居形式の美しい形態の鳥居である。鳥居の主な部材は花崗岩で、忠宗公夫人振姫の郷里備前国大島から運搬し建てられたものである」とあります。
備前国(岡山)大島とありますが、犬島との指摘があります。犬島は 古くから花崗岩の産地として知られていました。岡山城、大阪城、江戸城、鎌倉八幡宮の大鳥居などに犬島の花崗岩が使われました。

昭和53年の宮城県沖地震により傾斜したため、翌年に解体修復が行われています。向かって左の笠石が黒っぽい色に見えます。





仙台東照宮 由緒

鳥居の近くに由緒が書かれた案内板があります。

"東照宮 由緒
   御祭神 徳川家康公
   例祭 4月11日
 仙台藩2代藩主伊達忠宗公は、徳川幕府への尊崇・感謝の標として、慶安2年(1649)5月28日、3代将軍徳川家光公に東照大権現の仙台勧請(かんじょう)を願い出て許しを受け、同年8月17日普請始(ふしんはじめ)(着工式)を行った。
 この地は玉手崎(たまてざき)とよばれ、天正19年(1591)10月、徳川家康公が葛西大崎一揆の視察を終へて江戸へ戻る途中、藩祖伊達政宗公と宿陣された所で、祭神縁りの場所として社地に選ばれたという。尚、この地にあった天神社は東隣に移され、寛文7年榴岡に移された(現在の榴岡天満宮)。
 社殿が完成したのは、着工以来5年後の承応3年(1654)である。同年3月16、17日に、造営落成御遷座(ごせんざ)の儀式が荘厳に行われた。造営に当った人足58万3675人、大工12万9967人、材木2万4730本、総工費小判2万2496両を要した。諸国に材を求め、一流の工匠が工事に携わる等、仙台藩総力をあげての大事業であり、伊達文化の粋を結集したものであった。
 以後、伊達家の守護神として尊崇され、明暦元年(1655)より毎年9月17日を祭典日と定め、藩主在国の年には城下18ヶ町に命じ神輿渡御(みこしとぎょ)の先駆として山鉾を出さしめ、藩内最大の祭礼であった。この祭を仙台祭と称し、江戸時代末期まで盛大に行われた。
 昭和10年8月6日早朝、失火により弊拝殿が焼失し、貴重な文化財が烏有(うゆう)に帰したが、昭和39年11月17日、氏子崇敬者の協力により原形に復興された。
 本殿・唐門(からもん)・透塀(すきべい)・随身門(ずいしんもん)・石燈籠(とうろう)・石鳥居は国指定重要文化財に、手水舎(てみずや)は県指定有形文化財に、それぞれ指定されている。
 昭和53年5月、唐門・透塀の大修理が竣工、昭和55年6月には本殿の修復工事が完了して、創建時の荘厳華麗な姿に復元された。

 境内社 古峰神社
 境内地 9700坪
 鎮座地 仙台市東照宮1丁目6番地1号
 東照宮社務所"



仙台東照宮



仙台東照宮 石灯篭


仙台東照宮 石灯篭
鳥居をくぐると両側に石灯篭があります。この石燈籠も重要文化財。奥に行くほど、階段の幅が狭くなっているように見えます。遠近法を活用した設計のようです。


仙台東照宮 石灯篭


仙台東照宮 石灯篭


仙台東照宮 石灯篭


仙台東照宮 石灯篭


仙台東照宮 石灯篭

伊達家家臣が奉献した、創建当時の石灯篭が多く残っていることが分かります。

"重要文化財 石燈籠
 昭和55年1月26日附指定
 創建時には伊達家一族家臣により38基の石燈籠が奉献されていたが寛文事件(伊達騒動)後、事件に関係した重臣の石燈籠は取り除かれ、現在はその後奉献されたものを合わせて37基が境内に立ち並ぶ。承応3年(1654)の刻銘があるもの31基、延宝8年(1680)の刻銘もの2基、天和2年(1682)のもの4基あり、文化財しての社殿とともに一体としてその価値を形成するものであれる。拝殿前の二基は花崗岩、その他は当地産の石に彫刻作成して奉納されたものである。"



仙台東照宮 参道
階段を上り切って振り返ると、参道から続く道路がまっすぐ伸びているのが分かります。1.5km先までまっすぐな道です。




gon03DSC03153石燈籠の階段を登り切ると、荘厳な随身門が堂々と構えます。こちらも国指定重要文化財です。


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"国指定重要文化財(昭和55年1月26日指定)
  仙台東照宮 随身門(ずいしんもん)
 随身門とは左右に帯刀し弓矢を持った随身像が安置されているところから出たもので寺院でいう仁王門にあたる。
 構造は三間一戸(正面の柱間が三つあり、そのうち中央が通り間となり両開きの扉がつく)の楼門(二階門)形式の八脚門(脚柱が八本ある門)で、屋根は銅板葺きの入母屋造りである。軒下は比較的複雑で肘木の構造には天竺様を思わせる部分もあるが総じて和様である。二階勾欄には精巧な細工がほどこされ、均斉のとれた重厚さがある。
 二階正面中央に、妙法院宮堯然親王筆の「東照宮」の扁額があるが、裏面銘文には承応元年(1652)作とあり門の建築年代は本殿等と同時期の承応年間である。
平成11年10月 仙台市教育委員会"




仙台東照宮 神楽殿神楽殿です。東照宮神楽(春祭奉納)は仙台市の登録無形民俗文化財に指定されています。


仙台東照宮 手水舎

仙台東照宮 手水舎


仙台東照宮 手水舎
手水舎は県指定有形文化財です。水盤の部材は花崗岩で、鳥居と同じ備前国(岡山)から運ばれたと伝えれています。




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昭和10年の失火で焼失し、昭和39年に再建された拝殿です。屋根は入母屋造銅瓦葺。




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gon03DSC03175本殿の唐門と透塀、本殿は重要文化財です。 華麗でありながら品のある造りです。

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"重要文化財 唐門・透塀
昭和28年3月31日指定
唐門は一間一戸向唐門、銅瓦葺。正面円柱、背面角柱、花崗岩の礎盤の上に立つ。天井と垂木の間、蟇股、扉の綿板に金箔を押す。蟇股に牡丹の花、扉の綿板には紗綾形模様を彫り出し、鳳凰、麒麟、唐獅子の浮彫を付ける。鳳凰は動乱の世を鎮める明君の象徴で、牡丹は富貴善美を表わしている。彫刻部分に生彩色を施し、破風板、木口等要所に飾金具を取り付けた、形態均衡をえた流麗な門である。
透塀は1周延長四十四間(79.4メートル)、銅瓦葺。花崗岩の基壇上に土台を廻し、角柱を建て、腰長押、内法長押を付す。襷文、連子窓は黒漆喰。長押には飾金具を付ける。"




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"重要文化財 本殿
昭和28年3月31日指定
本殿は御神体徳川家康公をお祀りする、社殿の中で最も重要な建物である。大きさは正面三間、側面二間、入母屋造銅瓦葺で棟に千木・堅魚木を載せる。亀腹基壇上に円柱を建て三方に切目録・擬宝珠付高欄を廻し、向拝は花崗岩の浜緑の上に立つ。
軒は二軒繁垂木、支輪付出組斗栱、中庸は白鷹に松の彫刻入蠆服を備え、頭貫には獅子の木鼻を付す。四周に内法長押、緑長押を廻し両側後端に脇障子を建てる。正面三間両側前端一間に折桟唐戸を吊り込み、百二十面の綿板には麻葉模様と円形に天女、竜、唐獅子を浮彫している。
建物は総欅造、木目を現してた透漆塗で内外共塗装を施し、緑、高欄、木階は朱漆塗、外部板壁と床は黒漆塗として彫刻には金箔押や生彩色を施す。各所に精巧な鍍金金具を付け、金梨地の金蒔絵、桟唐戸の金具の七宝装飾等、伊達文化の粋を結集した極めて壮麗な建物である。"

仙台東照宮 梅
仙台東照宮 梅
仙台東照宮 梅白梅と紅梅が咲き始めていました。白梅にはウグイスの姿が見えました。


仙台東照宮 拝殿前



仙台東照宮 御朱印仙台東照宮の御朱印です。



祭神徳川家康公が葛西大崎一揆巡視の際、この地で休息をとったという伝承からこの地が選ばれたそうです。地図を見れは、仙台城の北東になることから、鬼門封じの意味があるように思われます。裏鬼門に線を引くと日光東照宮にぶつかるのも意味があるのでしょうか。

日光東照宮は権現造りですが、仙台東照宮は本殿と拝殿を別棟に配する様式をとっています。伊達政宗の墓所である瑞鳳殿と比較しても派手さがなく、贅を尽くしながらも粋な造りとなっているように思えました。
仙台を守り続けてきた荘厳さと品のある粋な雰囲気が印象的な神社でした。