「穴八幡宮(穴八幡神社)」(東京都新宿区西早稲田)は、虫封じや金運、商売繁盛、出世、開運に御利益がある神社です。金融業繁盛・金銀融通・勝馬券祈願に訪れる人が多いとか。 (名前から「大穴」狙いの競馬ファンが訪れるのでしょうか?)
康平5年(1062)「前九年の役(奥州の乱)」を平定した源義家(八幡太郎)が凱旋した際、日本武尊命(ヤアマトタケル)にならってこの地に兜と太刀を納め、氏神八幡宮を勧請したと伝えられています。そのため、東北鎮護の社として祀られました。
「前九年の役」と言えば、岩手県を拠点とした安倍氏と朝廷の戦です。源義家はその後の「後三年の役」にも介入して、奥州の歴史は藤原氏の平泉造営へと移り行きます。
穴八幡宮の由来が岩手にもかかわり深い源義家ではじまることから、興味深い神社です。
高田八幡宮といわれていましたが、宮守を建てるため境内南側の崖を整地したところ、横穴が現れて阿弥陀像を発見したことから、「穴八幡宮」に改称されたそうです。
東京メトロ東西線の早稲田駅から穴八幡宮に向かうと、大きな流鏑馬の銅像が目に入ってきます。
「高田馬場の流鏑馬」だそうです。
新宿区教育委員会の説明板によると
"享保13年(1728)徳川将軍吉宗が世嗣の疱瘡(ほうそう)平癒祈願のため、穴八幡神社へ奉納した流鏑馬を起源とし、以来将軍家の厄除けや若君誕生の祝いに高田馬場で流鏑馬が奉納された。
明治維新以降中断し、昭和9年に皇太子(現天皇)誕生祝いのたま再興され、数回行われたが、戦争のため中断し、昭和39年流鏑馬の古式を保存するため、水稲荷神社境内で復活し、昭和54年からは都立戸山公園内に会場を移し、毎年10月10日高田馬場流鏑馬保存会により公開されている。
古式豊かで勇壮な高田馬場の流鏑馬は、小笠原流によって現在に伝えられており、貴重な伝統行事である。"
とありました。
大鳥居をくぐり、階段を上ります。
階段の中断に鳥居があり、階段を上ると門があります。
随神門が見えてきます。
随神門の右大臣です。
随神門の左大臣です。
門をくぐると、右手に新宿区指定有形文化財の「布袋像の水鉢」が配置されています。
慶安2年(1649)の紀年銘があり、区内最古の水鉢だそうです。江戸城吹上御苑に置かれていたものを3代将軍徳川家光が奉納したと伝えられています。
将軍世嗣誕生に際して奇瑞が続いていた頃、神木から瑞光を放っていたことを、たまたま鷹狩の途中に参拝した家光が耳したことから、江戸城北の総鎮護として総営繕が命じられました。
その後、慶安2年(1649)の社殿造営に始じまり、8800余坪の境内地に壮麗な建物が建造されて将軍家祈願所としての規模が整えられたそうです。幕府により数次にわたって造営、営繕がなされ、元禄16年(1703)には、江戸権現造り社殿として壮麗に造営されました。安政元年(1854)に青山火事のため類焼しています。
現在の本殿は平成に入ってから、往時の江戸権現造りの設計絵図を基に造営されました。
穴八幡宮は虫封じにご利益があることがしられています。
(虫封じとは?)
夜眠らず泣き続ける(夜泣き)、すぐ機嫌が悪くなるという子供は「疳(かん)の虫がついた、虫気が起こる」と昔から言われてきました。そのような子供には「虫封じ(むしふうじ)祈願」が行われてきました。
また、江戸時代から続く「一陽来復御守」は冬至から節分までの期間に配布され、金銀融通の御守として有名で、かなり賑わうそうです。