江戸城外堀の谷を体感できる「市谷亀ヶ岡八幡神社」(新宿区市谷八幡町)に行ってきました。市谷台地の縁に建つ神社です。ペットの祈願所としても有名です。
市谷亀ヶ岡八幡神社


外堀通りの市ヶ谷八幡町交差点から少し路地に入ったところに「市谷亀ヶ岡八幡神社」はあります。
男段(男坂)

男段(男坂)と言われる急な階段が見えてきます。この階段を見るだけでも外堀が谷になっていることが分かります。 市谷台地を上ります。
外堀工事で出た土を外堀の岸側に埋め立て、平地を作っていたようです。江戸時代には階段下手前の平地に門前町が栄えていたようです。
男段(男坂)

 

坂の途中に「茶ノ木稲荷神社」があります。「市谷亀ヶ岡八幡神社」は、元々「茶ノ木稲荷神社」があった当地に遷座されました。ご利益として眼病平癒が有名な神社です。
この日は工事中で立入禁止でした。
茶ノ木稲荷神社

「茶ノ木稲荷神社」は一千年余りの前、空海(弘法大師)が初めて御鎭祭申上げたと伝えられています。食物衣服のことを司るのが主なる御神徳です。そのほかにも家内屋敷の安全、農業工業商業の繁昌、諸技藝の上達、交通旅行の安全等の幅広いご利益があるとされています。

「茶ノ木稲荷神社」眼病平癒の伝説
その昔、茶ノ木稲荷神社の神の御使いであった白狐が居ました。ある時誤って境内の茶の枝で目をつき怪我をしました。境内の泉で目を洗ったところ、目の怪我が治ったとか。それ以来、氏子の間では茶を忌み、正月の3ヶ日は茶を呑まない風習があったそうです。特に眼病の人たちの間では7日、21日もしくは49日の間、お茶を断って願掛けするようになったそうです。現在はお茶を断って祈願した日数に相当する茶葉をご神前に奉納するようになったそうです。

 

階段を上ると「銅鳥居」があります。文化元年(1804)12月建立の銅製明神型鳥居です。
銅鳥居

市谷亀ヶ岡八幡宮の銅鳥居

"市谷亀ヶ岡八幡宮の銅鳥居
文化元年(1804)12月建立の銅製明神型鳥居で、高さ4.6メートル、台石0.55メートル、柱には、初願者・当八幡宮別当第七世智光、造立者・東円寺現住仁龍他七名、鋳物師・西村和泉藤原政平の建造銘と、寄進者442名の名前や職業が陰刻されている。
「八幡宮」の額は、播磨姫路15万石の酒井家11代当主雅楽頭忠道の書によるもので、八の字は八幡宮の神使の鳩一対によって形成されている。
区内に現存する唯一の銅製鳥居で、意匠や鋳造技術にも優れており貴重である。(東京都新宿区教育委員会)"

太田道灌の軍配団扇が保存されているそうです。

"市谷亀ヶ岡八幡宮の軍配団扇
御府内備考続編之七目録(神社部・市谷八幡宮)には「団扇一本右者太田道灌所持之品図左之通」とあり、左に軍配団扇の図が記してある。当八幡宮には右記のものとして伝えられる軍配団扇が現在も保存されている。
木製の柄に竹を編み、間に紙を挟み、表面には黒紫色で漆を塗って仕上げてあるが、文様、文字はない。
製作年代は未詳であるが、太田道灌ゆかりの軍配団扇として伝えられており、貴重である。 (東京都新宿区教育委員会)"


銅鳥居から下を眺めると、かなり急な階段だと分かります。(怖っ)「急階段につき、足もとにご注意ください」の文字が見えます。
奥には外堀が見えます。提灯があるところが「茶ノ木稲荷神社」です。
銅鳥居からの眺め


銅鳥居から更に上ります。右下に見える小さい鳥居は「金刀比羅宮」です。銅鳥居


市谷亀ヶ岡八幡神社

「市谷亀ヶ岡八幡神社」は文明11年(1479)、江戸城を作った太田道灌が江戸城西方の守護神として鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を勧請したことに始まります。鶴岡八幡宮の「鶴」に対して「亀」、亀岡八幡宮と称したと伝えられています。

当時は現在の千代田区内にありました。江戸時代となり寛永13年頃(1636)に江戸城外堀が出来た際、城内に位置してしまったため現在の場所に移されました。当地は「茶ノ木稲荷神社」が元々あった場所だそうです。江戸時代には「市谷八幡宮」と称していました。3代将軍家光とその側室で5代将軍綱吉の母桂昌院の厚い信仰を得ていたそうです。江戸時代はかなり賑わっていたようです。

 

ペットの祈願所としても有名です。5代将軍綱吉と関係していることからペットの神社になったのかもしれません。ペットのお守りは地方発送をしているそうです。 HPを見ると色々な種類のお守りがありました。

JR市ヶ谷駅近くの外堀から、市谷大地の縁にある「市谷亀ヶ岡八幡神社」に上ると外堀の構造を実感できます。