江戸城外堀の筋違見附から赤坂見附までの散歩を紹介します。江戸城の内濠は皇居を囲むように残されています。外濠は更に外側をぐるりと囲んでいて、江戸時代の名残りが感じられる場所も多く残っています。自然の地形や川を生かしながら、一部は台地を削りながら天下普請(ぶしん)により工事が進められました。隅田川もその役割を果たしていたようです。
NHKブラタモリ「江戸城 外堀」で紹介された場所も巡ります。 地図は最後に紹介します。
(以前に散策した場所も組み合わせながら紹介していきます)
太田道灌が戦国時代の1457年に江戸城を築きました。その後、上杉氏、北条氏が城主となり、1603年に徳川家康により江戸幕府が開かれました。
当初、江戸城の付近(日比谷)まで海が広がっていたそうです。幕府は諸大名に普請(ふしん)を命じて江戸城の防衛のために濠の整備を進めます。
神田川が隅田川に流れ込む浅草橋に浅草見附(浅草御門)がありました。ここから、筋違橋見附、小石川見附、牛込見附、市ヶ谷見附、四谷見附、赤坂見附、虎ノ門等の36の門があったとされています。 城郭へ通じる門となります。
一部は埋め立てられた箇所もありますが、現在でもお堀の名残りを感じられる場所が多くあります。外堀沿いには中央線と総武線が走り、時々地下鉄丸の内線が顔を出す場所もあります。外堀を利用した中央線と総武線には踏切がありません。外堀の内側に築かれた土塁の上を通っている場所もあります。
今回は秋葉原の「筋違見附」からの散歩コースとなります。
筋違見附
秋葉原の万世橋付近に「筋違見附」があったと言われています。2006年まで万世橋のたもとには交通博物館がありました。
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万世橋から上流の昌平橋方面を望みます。この神田川は外堀の名残りで、浅草橋の先、隅田川に流れ込みます。
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昌平橋から聖橋方面を眺めます。(神田「昌平橋」から神田川を望む。)総武線を支える橋脚、左上は中央線、奥に見える聖橋の下には丸の内線が顔を出します。
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仙台堀(伊達堀)
私が外堀に興味を持ったきかっけが仙台堀(伊達堀)でした。(仙台掘・伊達堀)
徳川家康から、江戸城をどこから攻めるか問われた伊達政宗はお茶の水を指差したそうです。2代将軍秀忠の時に神田山を外堀とする大工事が行われ、水道橋からお茶の水にかけて仙台藩が施工を担当しました。 このため、「仙台堀」や「伊達堀」と呼ばれるようになりました。
神田川は御茶の水駅付近で深い谷となっています。外堀になる前は神田山と呼ばれ、両岸が地続きの台地でした。台地を掘削して、外堀とする大工事が行われました。その土砂は江戸城付近の海や低湿地の埋め立てに利用されたようです。
JR御茶ノ水駅のホームからの眺めです。橋は御茶ノ水橋です。
御茶ノ水橋から下流にある「聖橋」の眺めです。人口の谷ですが「茗渓」と呼ばれ、江戸の名所だったようです。
「聖橋」
アーチ状の「聖橋」はとてもきれいな橋です。少し戻り、聖橋を紹介します。
聖橋からJR御茶ノ水駅を眺めると、中央線、総武線、下からは丸の内線が顔を出します。(美しい橋「聖橋」から眺めるリアル・ジオラマ(JR御茶ノ水駅)。)
聖橋の上から両岸を眺めます。聖橋の名前の由来となった湯島側の湯島聖堂です。
神田駿河台方面を見るとニコライ堂の屋根が見えます。 両岸に聖堂があることから「聖橋」という名前が付けられました。
JR御茶ノ水駅から見る聖橋です。御茶ノ水駅も外堀の中にあることになります。
お茶の水から水道橋に向かいます。
JR水道橋駅の東側に架かる「水道橋」から上流を眺めます。お茶の水の渓谷とは景色が一変します。
さらに上流を目指します。
水道橋駅前交番の横に架かる「後楽橋」から上流を眺めます。
小石川見附(小石川御門)
「小石川橋」付近に「小石川見附」があったようですが、工事中でした。
「小石川橋」手前から神田川と日本橋川に分かれています。江戸時代は埋め立てられていましたが、明治に入り掘削工事により日本橋川となりました。
もともとは日本橋川に神田川が流れていました。当時は平川と呼ばれ、江戸湾の日比谷入江が河口だったようです。仙台堀を通す工事が終わり、神田川が外堀の役目を担ってきました。
「小石川橋通り架道橋」
「小石川橋通り架道橋」はNHKブラタモリ「江戸城 外堀」で紹介されていたスポットです。 場所は記事下部の地図を参照してください。
明治37年(1904)に甲武鉄道(明治時代に存在した鉄道事業者)だった当時に架けられたドイツ製の鉄橋(トラス橋)だそうです。1904年と言えば日露戦争が開戦した年です。
現在も総武線の上り線で使用している現役の鉄橋です。
「小石川後楽園」
近くには「小石川後楽園」があります。水戸黄門(徳川光圀)ゆかりの庭園です。園内からは東京ドームを望むことが出来ます。(水戸黄門ゆかりの「小石川後楽園」、雪山のような東京ドームに映える真っ赤なもみじ。)
紅葉時期にはモミジがきれいです。
「小石川後楽園」の塀に外堀の石垣を再利用した箇所があります。
小石川橋に戻り、中央線と総武線が高架となっている石垣の横を通り、飯田橋に向かいます。
「甲武鉄道石垣」
石垣は甲武鉄道当時のものです。飯田橋方面へ更に進むと、石垣の積み方が変な場所があります。NHKブラタモリ「外堀」で紹介された石垣です。
下の方は平らに積まれていますが、途中から斜めに積まれています。下が西洋式で、途中からが日本式となっています。ブラタモリでは日本人の職人が途中で嫌になり、途中から日本式で積んだのではないかと推測していました。
「飯田橋」から下流側を眺めます。この付近は神田川が外堀となる起点です。北側から神田川が流れ込んで来ます。
飯田堀
「飯田堀」は1970年に暗渠化されています。飯田橋セントラルプラザが建っています。
早稲田通りにぶつかり牛込橋を渡ります。JR飯田橋駅に向かう通路から下を眺めると、外堀が暗渠となる入り口が見えました。
橋の上から線路をのぞくと、石垣が見えました。横を中央線が走り抜けます。
「牛込橋」は牛込見附の一部をなす橋だったそうです。
「牛込橋」の看板の横に石垣の石が置かれています。牛込見附の一部かと思われます。
牛込見附(牛込御門)
「牛込見附」の石垣がきれいに残されていました。
牛込堀
牛込橋から「牛込堀」がきれいに見えます。外堀を利用して中央線と総武線が走っています。
「牛込駅」
見附は甲武鉄道をはじめ、駅として利用されてきたようです。牛込見附にも「牛込駅」がありました。現在は駅舎跡地にお店が2軒建っています。手前は、NHKブラタモリ「外堀」でタモリさんが店内に入ったピザ屋さんです。
牛込駅跡から牛込堀の土塁の上を歩きます。下には中央線と総武線の線路が見えます。
「新見附橋」
新見附橋は明治時代に新設された橋です。
新見附橋から見る牛込堀です。
「新見附堀」
新見附橋から市ヶ谷方面を見ると「新見附堀」が広がります。江戸時代まではこちらも「牛込堀」と呼ばれていました。
再び土塁の上を歩きます。
JR市ヶ谷駅に近づいてくると、釣り堀が見えてきます。
市ヶ谷見附(市ヶ谷御門)
市ヶ谷見附は石垣の組石が少しだけ残っています。
市ヶ谷堀
市ヶ谷見附跡から靖国通りを対岸の外堀通りに渡ります。 途中、「市ヶ谷堀」を眺めると、かなり広い幅だと分かります。右横に見えるラーメン屋さんは外堀にせり出しています。
外堀通りから見るJR市ヶ谷駅と市ヶ谷堀です。
JR市ヶ谷駅のホームから市ヶ谷堀を眺めると、この様に見えます。
「市谷亀ヶ岡八幡神社」
「市谷亀ヶ岡八幡神社」に立ち寄ります。かなり急な階段を上ると、市谷台地と外堀の谷を体感できます。(ペット祈願の「市谷亀ヶ岡八幡神社」から江戸城外堀の谷を見る。)
東京メトロ市ヶ谷駅に向かいます。南北線で四谷に向かいます。
「江戸歴史散歩コーナー」
「市谷亀ヶ岡八幡神社」に近い入り口から東京メトロ南北線の市ヶ谷駅に向かいます。構内には「江戸歴史散歩コーナー」があります。それほど広くはないですが、見ごたえのある施設です。ちなみに無料で見学できます。
"南北線工事で江戸城外観の遺跡が多数出土しました。このコーナーにはこれらの遺跡とともに市ヶ谷駅付近の変遷、江戸時代の土木技術を展示いたしました。"と書かれていました。
雉子(きじ)橋(千代田区九段南)から出土した石材を使って再現した石垣です。
南北線で四谷駅に向かいます。四谷駅構内で少し寄り道をします。丸の内線のホームに向かいます。
「御所トンネル」
「御所トンネル」は明治27年に甲武鉄道が外堀を利用するために掘ったトンネルです。迎賓館(東宮御所)が近くにあるので「御所トンネル」となったそうです。NHKブラタモリ「江戸城 外堀」で紹介されていたトンネルです。丸の内線ホームから見ることが出来ます。
レンガ積みで「笠石」という装飾石が特徴です。現在も総武線の下り線で利用されています。
外堀通りから御所トンネルを見てみます。真ん中のホームが上の写真を撮影した場所です。ホームの下からトンネルに入る総武線を確認できました。
総武線が下を通り、上を地下鉄丸の内線が通るという面白い場所でもあります。時間がなく、クロスする瞬間までは粘れませんでした。
南北線から地上に出ます。
「たいやき わかば」
四谷駅から新宿通りを進み、少し路地に入った場所に「たいやき わかば」があります。「東京3大たい焼き」の一つだと聞いたことがありますが、やはり並んでいました。
しっぽまでたっぷりあんが入っていて、皮はパリパリで美味しいたい焼きでした。上品な甘さのあんです。
この付近には「服部半蔵正成の墓」や四谷怪談で有名な「お岩稲荷」があります。
「迎賓館」
折角なので迎賓館に立ち寄ってみます。豪華な門と庭園、迎賓館の建物に感動します。
JR四谷駅に向かいます。四谷駅は外堀を利用して建てられています。
橋には立派な街灯がありました。
四谷見附(四谷御門)
「四谷見附」の枡形門の石垣が残っています。
石垣の上は広場になっていました。
市ヶ谷方面につながる土塁上の遊歩道です。こちらではなく、赤坂方面に向かいます。
土塁の上を赤坂方面に向かうと左手には上智大学のキャンパスがあります。
外堀方面を見ると、先ほどの「御所トンネル」が見えました。
土塁上の遊歩道を進みます。
真田堀
「真田堀」は上智大学のグラウンドになっています。
右奥には「迎賓館」、左には秋篠宮邸がある赤坂御所の門が見えます。
遊歩道と左が上智大学グラウンド(真田堀)です。 (振り返った写真)
「真田堀」の全景です。埋めたてられ、現在は上智大学のグラウンドとして使用されています。
喰違見附(喰違御門)
遊歩道の終点付近が「喰違見附」跡です。
向かい側にはホテルニューオータニが見えます。
外堀通りに向かいます。紀之國坂にぶつかります。
向かい側には赤坂御所の門がありました。
首都高の横を下っていきます。写真は首都高の国賓用出入り口だと思われます。
弁慶堀
紀之國坂を下ると「弁慶堀」が見えてきました。
「弁慶堀」は緑に囲まれています。
弁慶橋が弁慶濠を渡します。橋のたもとには釣り堀がありました。
弁慶橋から反対側を見ると奥に石垣が見えます。今回の終点「赤坂見附」です。
弁慶橋を紀尾井町方面に渡った右手に「紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡」がありました。工事中で中を見ることは出来ませんでした。
赤坂見附交差点を見れば、弁慶堀とは対照的な風景が広がっていました。
赤坂見附(赤坂御門)
「赤坂見附」の枡形門の石垣が残っています。
石垣の上にヤシの木があり、ちょっと違和感を感じました...。 (笑)
江戸時代初期に整備された外堀ですが、今でも名残りを残しています。外堀を利用して進められた鉄道整備も見どころだと思います。
神田山を掘った仙台藩はかなりの大工事だったはずです。当時は人力でしたから、どの様に施工していたものか見てみたいものです。しかし、人工的に作られた仙台堀はとても美しい景観です。
土塁上の遊歩道は信号に止められることがありませんので、ウォーキングにも向いていると思います。水と緑を眺めながら歩くだけで癒される場所です。
今回、散歩した江戸城外堀の地図です。