銀座のビル屋上にある神社「朝日稲荷神社」に行ってきました。NHKブラタモリ「銀座」で紹介された珍しい神社です。
銀座七福神、銀座八丁神社めぐりの一つで、御利益は商売繁盛、縁結び、家内円満です。
朝日稲荷神社


銀座中央通りの銀座三丁目交差点にある松屋の裏手に「朝日稲荷神社」があります。
こちらが神社があるビルです。1階2階を吹き抜けとして神社の拝殿があります。拝殿の上の壁にはパイプがあり、パイプには土が詰められて屋上の本殿とつながっているそうです。更には拝殿にはマイクがあり、屋上にあるスピーカーに音声が流れるという徹底ぶりです。
神社があるビル


屋上をズームで撮影してみると、確かに神社があります。
DSC06479


こちらが拝殿です。
拝殿

拝殿

 

朝日稲荷神社御縁起には「時代に先駆ける銀座の地にふさわしい神社」とあります。
朝日稲荷神社御縁起


朝日稲荷神社御縁起

" 朝日稲荷神社は古来より当地に鎮座し、守護神として厚く奉斎され、遠近の崇敬を集めていた。 しかしながら、安政の大地震により社殿倒壊し、三十間堀に幽没して以来、社地は荒廃し浮浪の徒付近に散集して見るかげもなかった。

大正6年、銀座を襲った大海嘯によって、三十間堀より霊体が顕れ、建築業館岡其が当地に奉安したが、関東大震災により転地を余儀なくされ、神社は銀座三丁目町会の奉斎するところとなった。町内崇敬者一同神威を畏み奉り、町内守護神として奉斎しようとしたが、当時社地は東京市有地に編入され、東京市の管理化にあった。三丁目崇敬者は時の東京市助役を訪ね、社地の下附を懇請したが叶わなかった。しかしながら、土地使用黙許の許可を得、社殿が建立され、社地は整えられた。初午が盛大に祝われ、縁日は四丁目の出世地蔵尊のそれと伍して多くの人々を集めた。こうした、町内守護神として広大な神徳を顕わすにいたったが、戦災のため社殿はことごとく烏有に帰した。

戦後社殿を再建し、昭和27年宗教法人朝日稲荷神社となる。以後三丁目町内会によって厚く奉斎され、その神威はいや増して広大、信心する者にあまねく守護を及ぼしている。

昭和58年、隣地の大広ビル改築にともない、共同ビルを建築するにいたった。ビル一部の1・2階を吹抜け拝殿とし、本殿を屋上に安置したが、パイプにより大地につながり、拝殿での参拝が本殿に届くよう工夫されている。時代に先駆ける銀座の地にふさわしい神社となった。

毎年初午に盛大に祭を催し、また、大銀座まつりの際は銀座八丁神社巡りの札所として、銀座三丁目にとどまらず、多くの人々の崇敬を集めている。

商業の神として商売繁盛はもとより、当地に鎮座して以来火災なく、また、縁結び、家内円満にもその神威はとどまるところを知らない。

昭和63年 銀座三丁目町会"


「大正6年、銀座を襲った大海嘯によって」とあるのは、東京湾で「大正六年の大津波」と呼ばれる高潮水害のことのようです。



本殿にはエレベーターと非常階段で上がることができます。
ビル入り口

本殿に通じるエレベーター

屋上本殿にはエレベーターで8階に行き、非常階段で上ります。日曜日と祝日は参拝できません。
参拝者へ案内

8階でエレベーターを降り、非常階段を上ります。
非常階段


屋上に出ました。見晴らしも良く、気持ちのいい場所でした。
屋上


銀座三丁目交差点方面です。
銀座三丁目交差点方面


立派な絵馬がありました。
絵馬

たぶんですが、このパイプが拝殿に繋がっているのだと思います。
パイプ


拝殿から通じるスピーカーだと思います。
スピーカー


本殿です。
本殿

本殿 



震災や戦災などを乗り越え、銀座の土地だからこそ、この様な形で篤い信仰を得て残っていることに深い意義のある神社ではないかと思いました。
銀座の真ん中にありながら、中央通りの喧騒とは異なり、落ち着ける場所でした。





より大きな地図で 銀座のビル屋上にある「朝日稲荷神社」。 を表示