室根山(895m)の8合目付近に室根神社(一関市室根町)はあります。「本宮」と「新宮」の2社が祀られる歴史ある神社です。境内奥の泉には「室根山三十三観音」が祀られています。
室根山の上り口から鳥居が建っています。
車で室根山に上る途中、再び鳥居が現れます。
参道は結構な急斜面で杉林に囲まれています。
しばらく上ると車道そばに再び鳥居があり、急な参道が見えます。 室根神社特別大祭では本宮と新宮から2つの神輿を担いで氏子がこの急坂を下って行きます。
8合目付近に室根神社の大きな看板が現れます。
境内には本宮と新宮の社殿があります。由来をみると、本宮は718年に熊野大社の御神霊を迎え祀ったとあります。蝦夷征伐の祈願所だったようです。 奈良時代のはじめなので、かなりの歴史がある神社です。
蝦夷征伐の前線基地であった鎮守府多賀城が築かれたのは724年(神亀元年)でしたので、少し疑問を感じました。ちなみに多賀城も大野東人が築城したとされています。坂上田村麻呂が征夷大将軍となってから胆沢城が築かれるのが801年ですから、718年にはまだ朝廷の息がかからない地だったと思われます。推測ですが...。
たぶん、元々は土着の山岳信仰的な地だったのかなと勝手に想像してしまいます。
本宮の由来
養老2年(718)元正天皇の勅命を受けた鎮守府将軍大野東人が、蝦夷降伏の祈願所として、紀州(和歌山県本宮町)から熊野大社の御神霊を迎え祀ったものである。
新宮の由来
正和2年(1313)陸奥の守護職葛西清信が、奥七郡(磐井、江刺、胆沢、気仙、本吉、登米、牡鹿)の鎮守として、紀州(和歌山県新宮市)から、熊野速玉大社神霊を迎え祀ったものである。
本宮には「金の鈴」、新宮には「銀の鈴」があります。順番に鳴らして参詣することで願が叶うと言われているようです。
新宮の拝殿です。奥に本宮が見えます。
室根神社は室根神社特別大祭「室根神社祭マツリバ行事」(国指定重要無形民俗文化財) が東北三大荒祭の一つとして有名です。旧暦閏年の翌年に行われる室根神社特別大祭は1300年近い歴史があるお祭りです。「本宮」、「新宮」から2つの神輿が先着を競って室根山を下ります。 深夜、神輿を担いで、先ほど紹介した急こう配を下って行きます。とても勇壮なお祭りです。
新宮の前には樹齢千年を超えるという巨杉があります。標高850mを超える場所に、これだけの巨杉は他に例がないと案内板に書かれていました。
境内の奥に室根山三十三観音が安置されています。江戸時代中期の1776年に奉納されたようです。
室根山三十三観音
観音菩薩はすべての衆生を救い、それぞれの願いに応ずるため、三十三の姿に化身するといわれ、一般に三十三観音と呼ばれている。
この場所には、聖観音、千手観音、馬頭観音、十一面観音など三十三体の石像観音が安置されている。
願主、折壁村松寿院と平貝浜田屋文四郎
石工、仙台市八幡町、藤倉喜三郎と大木屋惣七
安永5年(1776)9月奉納と刻銘されている。
平成9年7月建立 室根村教育委員会
泉が湧いて沢になっている場所に三十三観音が安置されています。この光景はなかなか神秘的です。石には苔が生え、千手観音や十一面観音などが置かれています。
室根山には慈覚大師が850年頃に築いた天台宗の一大寺院があったようです。1260年頃、鎌倉幕府の北條時頼が奥州天台寺院の廃滅令を発します。室根山の天台宗寺院も壊滅したようです。
三十三観音の泉からは沢となって清水が流れています。この下流には姫瀧があり、天台宗寺院が壊滅した際に本尊をかくしたとされる岩窟があるようです。
室根神社の近くからは気仙沼の海の方まで見渡せる場所があります。
こちらは頂上の少し下にある展望台からの景色です。
せっかくなので頂上まで行ってみました。360度パノラマで景色を見渡せます。
室根山は悠久の昔から信仰を集め、山岳信仰、神道、仏教と神仏習合の一大霊場だったのかなと想像を膨らませながら景色を眺めました。
より大きな地図で 室根神社と室根山三十三観音。 を表示