縁結び、恋愛の神様として知られる遠野市の「卯子酉様(うねとりさま、「卯子酉神社」、「卯子酉大明神」)」に行ってきました。
市中心部から釜石街道を西に向かうと、左手に五百羅漢さわやかトイレがあります。その駐車場から小さな川を挟んだ場所に卯子酉様はありました。
神社というよりも祠(ほこら)といった感じです。独特の雰囲気が周囲に漂っています。
"遠野一帯が大きな湖であったその昔、鮭の背にのって宮家と倉堀両家の先祖が猿ヶ石川をさかのぼってここにたどりついたという話があります。
境内の小さな池は淵のあとでここの片葉の葦に恋の願いを書いた紙を結びつけておくと願いがかなうと伝えられています。
『遠野物語拾遺』第35話にも不思議に男女の縁が結ばれたろ書かれています。"
境内にある木の枝に、左手だけで赤い布を結びつけられれば、縁が結ばれるそうです。赤い布は祠の前で100円で売られています。私は挑戦しませんでしたが...(^^ゞ
"愛宕さんは城下町を守る境の神でした。 旅立ちのときに、安全を祈り、家族と別れる場所で、山の神や出羽三山など旅の記念の石碑がならんでいます。
また、火防の神で『遠野物語拾遺』第 64話にも、愛宕さんが和尚の姿になっ て町内の火事を消した話があります。"
なかなかの急こう配な石段を上って行きます。
途中からは石段がなくなります。
坂を登りきると、境内から遠野の平地を眺めることが出来ます。
拝殿があり、後ろには本殿が少し高いところにありました。屋根には九曜紋があります。
右手には小さな祠がありました。かなり古いものだと思われます。
愛宕神社の石段を下りて、五百羅漢に向かいました。
自然歩道という道をのぼると、卯子酉様が上から見ることが出来ます。高い杉の木の下に卯子酉様があります。
愛宕神社の参道の杉が並んでいます。折れた木が引っかかっていました。
山の中の遊歩道を進んで行きます。舗装された道路にぶつかり、道路を渡ったところに五百羅漢がありました。
"今よりも平均気温が3度も低かった江戸時代、高冷地の遠野はしばしば凶作に見舞われ、宝暦5・6年(1755・5年)、天明2年(1782年)などの大飢饉には多くの被害者を出しました。
心を痛めた大慈寺の義山和尚は、その供養のため明和2年から数年をかけてこの五百羅漢像を彫り上げました。"
きれいな小川が流れ、その先に五百羅漢があります。
苔が生えた石に五百羅漢が彫られているようです。
遠野物語の世界観がそのまま残っているような場所が今でも多くある遠野ですが、卯子酉様、愛宕神社も神秘的な雰囲気を残す場所でした。