「赤紙仁王尊」(東覚寺金剛力士像)

東覚寺(東京都北区田端)の金剛力士像は全身に赤い紙が貼られています。「赤紙仁王」と呼ばれ、身体の悪い部分に貼って祈願すれば治癒すると、病気平癒の御利益を求めた人が訪れます。


「赤紙仁王尊」(東覚寺)

「赤紙仁王」(田端)御利益を求めた篤い信仰があり、多くの赤紙が貼られていました。

「赤紙仁王」(田端)祈願が成就して病気が回復した人は、草鞋(わらじ)を供える習わしがあるそうです。仁王様は、病人を日夜見舞ってくださるために草鞋が必要なのです。


赤紙仁王尊赤紙が貼られいない時の赤紙仁王尊の写真です。

寛永18年(1641)、江戸市中に流行った疫病を鎮めるために宗海上人が造立したと伝えられています。



東覚寺(東京都北区田端)
東覚寺(東京都北区田端)
東覚寺(東京都北区田端)
東覚寺(東京都北区田端)


東覚寺は谷中七福神のうち、福禄寿が祭られていることでも有名です。

 

 

東京都北区指定有形民俗文化財 赤紙仁王(石造金剛力士立像)説明板

東京都北区指定有形民俗文化財 赤紙仁王(石造金剛力士立像)
”参詣客が赤色の紙を貼るため‘赤紙仁王’の名でよばれるようになった東覚寺の金剛力士立像は、吽形像の背面にある銘文から、寛永18年(1641)8月21日、東覚寺住職賢盛の時代に、宗海という僧侶が願主となって造立されたことが分かります。一説によれば、当時は江戸市中で疫病が流行しており、宗海は、これを鎮めるために造立したのだそうです。
参詣客が赤紙を貼る理由は、そのようにして祈願すれば病気が治ると信じられてきたからで、具合の悪い部位と同じ個所に赤紙を貼るのが慣わしです。また、祈願成就の際には草鞋を奉納すべしとされています。ただし、赤紙仁王に固有のこうした習俗が発達したのは明治時代のことで、その背後には、仁王像を健脚や健康をかなえる尊格とみなす庶民独自の信仰があったと考えられます。なぜなら、かつて日本各地には病気平癒を祈願して行う類似の習俗があったからです。そのため、赤紙仁王は、文化形成における庶民の主体性や独自性を強く表現した作品でもあるのです。
なお、赤紙仁王は、江戸時代の末までは田端村の鎮守である八幡神社の門前にありました(左図)。しかし、明治初期の神仏分離を機に、かつて東覚寺にあった九品仏堂の前に移され、以後はそこで人々のお参りをうけてきました。また、平成20年10月には、道路拡張工事のため従来の位置から7メートル後方に移動し、平成21年8月に竣工した新たな護摩堂とともに、今後の世に趨勢を見つめてゆくことになりました。”
平成21年9月 東京都北区教育委員会

 


田端八幡神社東覚寺の横にある田端八幡神社は、田端村の鎮守として信仰を集めた神社です。源頼朝が奥州征伐から凱旋する際、鶴岡八幡宮を勧請して創建したと伝えられています。別当寺が東覚寺でした。

「赤神仁王」は、明治元年(1867)の神仏分離令を契機に別当寺であった東覚寺に移されたものです。

gon09DSC06126一の鳥居の手前には、昭和初期に暗渠化された谷田川に架かっていた石橋が埋められています。


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稲荷社
富士浅間社稲荷社、田端冨士三峯講が奉祀する冨士浅間社と三峰社があります。

 

田端八幡神社 拝殿



田端八幡神社 説明板

田端八幡神社
”この八幡神社は、田端村の鎮守として崇拝された神社で、品陀和気命(ほんだわけのみこと)(応神天皇)を祭神としています。神社の伝承によれば、文治5年(1189)源頼朝が奥州征伐を終えて凱旋するときに鶴岡八幡宮を勧請して創建されたものとされています。東覚寺は別当寺はでした。
現在東覚寺の不動堂の前にたっている一対の仁王像(赤紙仁王)は、 明治元年(1867)の神仏分離令の発令によって現在地へ移されるまでは、この神社の参道入口に立っていました。江戸時代には門が閉ざされていて、参詣者が本殿前まで進んで参拝することはできなかったらしく、仁王像のところから参拝するのが通例だったよう です。
参道の中程、一の鳥居の手前には石橋が埋められています。これは昭和初期の改修工事によって暗渠となった谷田川に架かっていたもので、記念保存のためにここへ移されました。
社殿は何度も火災等に遭い、焼失と再建を繰り返しましたが、平成4年(1992)に氏子たちの協力のもとで再建され、翌年5月に遷座祭が行われて現在の形になりました。境内には、稲荷社のほかに田端冨士三峯講が奉祀する冨士浅間社と三峰社があり、冨士浅間社では毎年2月20日に「冨士講の初拝み」として祭事が行われています。
東京都北区教育委員会”

 

 

神仏習合と神仏分離令の名残が残る東覚寺の「赤紙仁王」と田端八幡神社です。仁王像の姿が分からないほどに貼られた赤紙に、病気平癒への祈願成就に対する願いが感じられました。