gon09DSC06179江戸時代、田端は田端村と呼ばれて上田端と下田端に分かれていました。田端文士芸術家村と呼ばれ、菊池寛や芥川龍之介などの文士、芸術家が愛した街です。坂が多く、台地と谷の地形的変化を楽しむこともできます。散歩コースマップは最後に紹介します。


JR駒込駅JR駒込駅JR駒込駅からスタートします。




駒込駅前交番
駒込駅前交番三角屋根がかわいい、駒込駅前交番が出迎えます。



染井吉野桜記念公園
染井吉野桜記念公園交番横をJR沿いに歩いていくと、「染井吉野桜記念公園」があります。桜の品種『染井吉野』発祥の地を記念した公園です。


染井吉野桜発祥之里

"「染井吉野桜発祥之里」
駒込の一部は江戸時代染井と呼ばれ、巣鴨とともに花卉・植木の一大生産地であった。
この地で江戸時代以後数多くの優れた園芸品種が誕生したが、なかでも染井吉野は、当地の地名から名付けられ、世界を代表する桜の品種となった。
左の絵は、植木屋の第一人者、染井伊藤伊兵衛の庭で大勢の人が花を愛でている様子である。"



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gon09DSC06022駒込駅東口の高架下です。


湘南新宿ライン(山手貨物線)宇都宮線、高崎線からの湘南新宿ライン(山手貨物線)が京浜東北線の上中里駅付近からぐるりと回り込んで、駒込駅方面に入ってきます。


大きなゴルフボールのオブジェ線路横の道をさらに進んでいきます。ビルの前に大きなゴルフボールのオブジェがあります。



山手線唯一の踏切「第二中里踏切」
山手線唯一の踏切「第二中里踏切」都心部を走る山手線には踏切がありませんが、一つだけ残っている踏切が「第二中里踏切」です。
詳しくは(山手線に1カ所だけ、唯一の踏切「第二中里踏切」



山手貨物線踏切を渡った先は、湘南新宿ライン(山手貨物線)の跨線橋になっています。湘南新宿ライン(山手貨物線)を眺めると貨物のEF65電気機関車が来ました。


gon09DSC06037小学校の横を通ります。

大龍寺
大龍寺正岡子規のお墓があります。別名子規寺とも呼ばれているそうです。
真言宗霊雲寺派のお寺で、慶長年間(1596-1615)に創建されました。豊島八十八ヶ所霊場21番札所です。



上田八幡神社
上田八幡神社大龍寺のすぐ横にある神社です。大龍寺は別当寺です。江戸時代の田端村(上田端)の村人の鎮守の神社だったようです。


上田八幡神社
上田八幡神社


八幡坂通り
八幡坂通り神社の横は八幡坂と呼ばれています。

八幡坂を下って、田端銀座方面に向かいます。



田端銀座商店街
詳しくは(下町人情「田端銀座商店街」で食べ歩きランチ
田端銀座商店街

さとみや豆腐店
さとみや豆腐店
さとみや豆腐店「絹ごし豆腐」、「木綿豆腐」をはじめ、佐賀産一等大豆100%の「ざる豆腐」が店頭に並んでいます。「おぼろ」に「揚げ豆腐」、色々な種類の「がんも」が目を引きます。



PUCii(プッチー)
PUCii(プッチー)ナポリピザとパスタで評判のお店です。


パンのかわむら
パンのかわむら
パンのかわむら都内のホテルや喫茶店などにパンを卸しているパン屋さんです。店頭でパンの購入も可能です。あんドーナツが人気だそうです。
TVにもよく登場して、店主の弟さんの低音ボイスが有名になっています。


マルイケハウス
PUCiiとパンのかわむらの間の路地を進むと古いアパートがあります。マルイケハウス
マルイケハウス

アートな壁画が目を引きます。若いデザイナーのお店やセレクトショップ、カフェとして部屋が改装されています。


マルイケハウス
マルイケハウスまだ開店前でしたので廊下とトイレだけ見て来ました。個性的なお店ばかりで、トイレもアート。


松の湯
松の湯商店街には銭湯はつきものですね。日替りの薬湯が楽しめる町の憩いの場。


おでん種 佃忠かまぼこ店
おでん種 佃忠かまぼこ店
おでん種 佃忠かまぼこ店おでん種、手作りさつま揚げが売られています。
おでんは店頭で煮込んでありますので、買ってそのまま食べられます。

マーサーズ・キッチン
マーサーズ・キッチン町の洋食屋さんです。

栄屋食料品店
栄屋食料品店自家製のぬか漬けが豊富な品揃え。

鶏肉専門 宮川商店
鶏肉専門 宮川商店鶏肉専門店。焼き鳥、格安のお総菜がいっぱいで、選ぶのが楽しくなります。


田端銀座商店街をあとにします。

田端不動尊
gon09DSC06104この少し先付近が竹下夢二の居住跡のようです。



水神稲荷

水神稲荷



谷田川通り
谷田川通り昭和の初期に暗渠化された谷田川の上に出来た道路です。谷田川通りと呼ばれています。谷田川は下流に向かうと藍染川と呼ばれていました。谷中では「よみせ通り」として、暗渠化されています。途中、通称「へび道」と呼ばれるくねくねした道路が川の名残を伝えています。谷中・千駄木・根津を抜けて不忍の池に流れ込みます。



谷田橋交差点
谷田橋交差点交差点付近には谷田橋がありましたが、現在は田端八幡神社の鳥居手前に埋められています。


gon09DSC06111谷田橋交差点の先は、川の名残を伝えるような曲がった道路が続いています。



幽霊坂
幽霊坂幽霊坂と言われる坂です。



与楽寺
与楽寺
与楽寺
賊除(ぞくよけ)地蔵の伝承地

賊除(ぞくよけ)地蔵の伝承地
"与楽寺は真言宗の寺院で、江戸時代には二十石の朱印地を拝領していました。この境内には、四面に仏を浮彫にした南北朝時代の石の仏塔があります。また、阿弥陀堂には行基作と伝わる阿弥陀如来が安置されています。当時、これは女人成仏の本尊として広く信仰を集めていたことから、ここは江戸の六阿弥陀参詣の第四番札所として、多くの参拝者を得ていました。
さて、本尊は弘法大師作と伝わる地蔵菩薩で、これは秘仏とされています。この地蔵菩薩は、次のように伝承されています。
ある夜、盗賊が与楽寺に押し入ろうとしました。すると、どこからともなく多数の僧侶が出て来て盗賊の侵入を防ぎ、遂にこれを追い返しました。翌朝見ると、本尊の地蔵菩薩の足に泥がついています。きっと地蔵菩薩が僧侶となって盗賊を追い出したのだと信じられるようになり、これより賊除地蔵と称されるようになりました。
仏教では、釈迦が入滅してから56億7000万年後に弥勒が現れるまでの間は、人びとを救済する仏が存在しない時代とされています。この時代に、地蔵菩薩は、自らの悟りを求め、同時に地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天という六道の迷界に苦しむ人を救うと信じられてきました。そして、江戸時代になると、人びとの全ての願望をかなえる仏とし て信仰されるようになり、泥足地蔵・子育地蔵・田植地蔵・延命地 蔵・刺抜地蔵というように各種の地蔵伝説が生み出されました。与楽寺の賊除地蔵も、これらの地蔵伝説の一つとして人びとの救済願望に支えられて生み出されたものといえます。 "
東京都北区教育委員会




与楽坂
与楽坂

坂の名は、坂下にある与楽寺に由来しています。『東京府村誌』に「与楽寺の北西にあり、南に下る、長さ二十五間広さ一間三尺」と記されています。この坂の近くに、画家の岩田専太郎、漆芸家の堆朱楊成、鋳金家の香取秀真、文学者の芥川龍之介などが住んでいました。芥川龍之介は書簡のなかに「田端はどこへ行っても黄白い木の葉ばかりだ。夜とほると秋の匂がする」と書いています。
東京都北区教育委員会




赤紙仁王尊(東覚寺)と田端八幡神社
詳しくは(病気平癒の御利益「赤紙仁王尊」(東覚寺)と田端八幡神社



赤紙仁王尊(東覚寺)

gon09DSC06136東覚寺(東京都北区田端)の金剛力士像は全身に赤い紙が貼られています。「赤紙仁王」と呼ばれ、身体の悪い部分に貼って祈願すれば治癒すると、病気平癒の御利益を求めた人が訪れます。

赤紙仁王尊(東覚寺)

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東京都北区指定有形民俗文化財
赤紙仁王(石造金剛力士立像)
"参詣客が赤色の紙を貼るため'赤紙仁王'の名でよばれるようになった東覚寺の金剛力士立像は、吽形像の背面にある銘文から、寛永18年(1641)8月21日、東覚寺住職賢盛の時代に、宗海という僧侶が願主となって造立されたことが分かります。一説によれば、当時は江戸市中で疫病が流行しており、宗海は、これを鎮めるために造立したのだそうです。
参詣客が赤紙を貼る理由は、そのようにして祈願すれば病気が治ると信じられてきたからで、具合の悪い部位と同じ個所に赤紙を貼るのが慣わしです。また、祈願成就の際には草鞋を奉納すべしとされています。ただし、赤紙仁王に固有のこうした習俗が発達したのは明治時代のことで、その背後には、仁王像を健脚や健康をかなえる尊格とみなす庶民独自の信仰があったと考えられます。なぜなら、かつて日本各地には病気平癒を祈願して行う類似の習俗があったからです。そのため、赤紙仁王は、文化形成における庶民の主体性や独自性を強く表現した作品でもあるのです。
なお、赤紙仁王は、江戸時代の末までは田端村の鎮守である八幡神社の門前にありました(左図)。しかし、明治初期の神仏分離を機に、かつて東覚寺にあった九品仏堂の前に移され、以後はそこで人々のお参りをうけてきました。また、平成20年10月には、道路拡張工事のため従来の位置から7メートル後方に移動し、平成21年8月に竣工した新たな護摩堂とともに、今後の世に趨勢を見つめてゆくことになりました。 "
平成21年9月 東京都北区教育委員会

田端八幡神社

田端八幡神社
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東覚寺の横にある田端八幡神社は、田端村の鎮守として信仰を集めた神社です。源頼朝が奥州征伐から凱旋する際、鶴岡八幡宮を勧請して創建したと伝えられています。別当寺が東覚寺でした。 「赤神仁王」は、明治元年(1867)の神仏分離令を契機に別当寺であった東覚寺に移されたものです。


gon09DSC06126一の鳥居の手前には、昭和初期に暗渠化された谷田川に架かっていた石橋が埋められています。

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"この八幡神社は、田端村の鎮守として崇拝された神社で、品陀和気命(ほんだわけのみこと)(応神天皇)を祭神としています。神社の伝承によれば、文治5年(1189)源頼朝が奥州征伐を終えて凱旋するときに鶴岡八幡宮を勧請して創建されたものとされています。別当寺は東覚寺でした。
現在東覚寺の不動堂の前にたっている一対の仁王像(赤紙仁王)は、 明治元年(1867)の神仏分離令の発令によって現在地へ移されるまでは、この神社の参道入口に立っていました。江戸時代には門が閉ざされていて、参詣者が本殿前まで進んで参拝することはできなかったらしく、仁王像のところから参拝するのが通例だったよう です。
参道の中程、一の鳥居の手前には石橋が埋められています。これは昭和初期の改修工事によって暗渠となった谷田川に架かっていたもので、記念保存のためにここへ移されました。
社殿は何度も火災等に遭い、焼失と再建を繰り返しましたが、平成4年(1992)に氏子たちの協力のもとで再建され、翌年5月に遷座祭が行われて現在の形になりました。境内には、稲荷社のほかに田端冨士三峯講が奉祀する冨士浅間社と三峰社があり、冨士浅間社では毎年2月20日に「冨士講の初拝み」として祭事が行われています。"
東京都北区教育委員会

赤紙仁王通り赤紙仁王通りを進みます。



ポプラ坂
ポプラ坂
ポプラ坂田端保育園はポプラ倶楽部の跡地です。テニスコートがあり、文士、芸術家の社交の場だったようです。

ポプラ坂

(田端文士村)ポプラ坂
田端保育園はポプラ倶楽部の跡で、ポプラ坂の名はこれにちなむものです。 ポプラ倶楽部は、明治41年ごろ、洋画家の小杉放庵(未醒)が作ったテニスコートで、 田端に住む洋画家の社交場となったものです。 陶芸家の板谷波山、 洋画家の山本鼎、 彫刻家の吉田三郎,、詩人の室生犀星、小説家の菊池寛などが、このすぐ近くに住んでいました。大正2年、田端に越してきた芥川龍之介は、その1か月目に、ポプラ倶楽部のことを手紙に書いています。
昭和62年10月 東京都北区教育委員会




童橋(わらべばし)

童橋(わらべばし)昭和8年(1933)に完成した「田端切通し」を渡す歩行者用の橋です。切通しで分断された田端1丁目と田端5丁目をつなぐ橋です。



田端切通し
田端切通し新田端大橋につながる、田端駅北口前の都道に台地を掘った切通しです。昭和8年(1933)に整備されました。奥に見えるのは東台橋です。



芥川龍之介旧居跡
芥川龍之介旧居跡
芥川龍之介旧居跡

"作家芥川龍之介(1892~1927)は、大正3年から昭和2年までの約13年間、この地(当時の田端435番地)田端1-20に住んでいた。
この間「羅生門」、「鼻」、「河童」、「歯車」等の小説や俳句を執筆し、日本文学史上に大きな足跡をのこした。"




不動坂

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gon09DSC06205田端駅南口の改札に続く坂です。JR東日本の車両基地(田端運転所)から回送される新幹線車両(下)と、東北新幹線、上越新幹線など(上)を一緒に眺めることが出来ます。

"田端駅南口から西南へ登る坂です。坂名はかつて田端駅南口付近に石造不動明王立像が安置され、不動の滝があったことによります。この不動明王像は、明治45年(1912)5月に始まった田端駅拡張工事により現在地付近へ移され、さらに谷田川改修工事にともない、昭和10年(1935)11月に現在地へ移され、田端不動尊となっています。
平成五年三月 北区教育委員会"




東台橋
東台橋橋から田端駅北口、新田端大橋方面を眺めます。かなりの崖になっていることが分かります。



Ce・Param
gon09DSC06213オシャレな外観の焼き肉店です。北区で唯一、生食用肉の販売が許可されているとか。



山崎菓子店
山崎菓子店
山崎菓子店
山崎菓子店昔懐かしい駄菓子屋さんです。木枠のガラスケースが現役で使われています。優しそうなおじいさんが迎えてくれました。



田端文士村記念館
田端文士村記念館田端に由来のある芸術家や文士の作品をはじめ、原稿などの資料が展示されています。



田端ふれあい橋(旧田端大橋)
田端ふれあい橋(旧田端大橋)老朽化した旧田端大橋の北側に新田端大橋が開通、平成4年から旧田端大橋は駅前広場を兼ねた、歩行者用「田端ふれあい橋」となりました。軍艦建造技術を活かした全溶接橋だそうです。

田端ふれあい橋(旧田端大橋)
田端ふれあい橋(旧田端大橋)
田端ふれあい橋(旧田端大橋)
田端ふれあい橋(旧田端大橋)
鉄道関連のものがオブジェ的に配置されています。

田端ふれあい橋(旧田端大橋)ホテルメッツ田端には鉄道グッズ付きトレインビュープランがあり、東北新幹線・秋田新幹線・上越新幹線たちが行き交う様子を窓から眺めることが出来ます。


台地や谷、暗渠化された川、坂が多くあり、地形の変化にとんだ地域です。田端駅前の切通しはダイナミックでもあります。文士や芸術家が愛した街の雰囲気も感じることが出来ました。

散歩コース地図です。