カフェを併設した現代風の神社である「赤城神社」、デザイン監修は建築家の隈研吾氏です。2020年東京五輪・パラリンピックのメイン会場「新国立競技場」のコンペで選ばれたのが隈研吾氏のチームでした。
神楽坂にほど近い場所にある「赤城神社」は、神楽坂の雰囲気にマッチした神社として生まれ変わりました。
平成21年から平成22年にかけて「赤城神社再生プロジェクト」と銘打って全面的な建て替え工事が行われました。資金調達のため、三井不動産レジデンシャルが定期借地権を設定、神社から土地を借りて建て替えと敷地内に分譲マンションを建設するというものです。
御由緒によると、群馬県の赤城山と縁があるようです。江戸時代には「江戸の三社」と称されたとか。
“【御由緒】
伝承によれば、正安2年(1300年)、後伏見天皇の創祀に際して、群馬県赤城山麓の大胡の豪族であった大胡彦太郎重治が牛込に移住した時、本国の鎮守であった赤城神社の御分霊をお祀りしたのが始まりと伝えられています。
その後、牛込早稲田の田島村(今の早稲田鶴巻町 元赤城神社の所在地)に鎮座していたお社を寛正元年(1460年)に太田道潅が神威を尊んで、牛込台(今の牛込見付附近)に遷し、さらに弘治元年(1555年)に、大胡宮内少輔(牛込氏)が現在の場所に遷したといわれています。
この牛込氏は、大胡氏の後裔にあたります。
天和3年(1683年)、徳川幕府は江戸大社の列に加え牛込の総鎮守と崇め、「日枝神社」「神田明神」と共に、「江戸の三社」と称されました。
この三社による祭礼の際における山車、練物等は江戸城の竹橋から内堀に入り半蔵門に出ることを許されていました。
その後、明治6年に郷社に列することになります。
しかし、街の発展に伴い電柱や電燈などの障害物ができたので、盛観を極めた山車行列は明治32年の大祭が最後となりました。”
赤城神社ホームページより
神楽坂の裏通りを進むと、朱色の大鳥居が現われます。 ここまでは一般的な神社と変わりません、
手水舎にはきれいな水が張られ、落ち葉が浮かんでいます。
境内には古木が残されていますが、雰囲気は現代的です。写真の左側がマンションの建物で、1階に社務所をはじめ、カフェなどの施設が入っています。
ちょうど神前式の婚礼が行われていました。
真っ白な狛犬が拝殿前に鎮座しています。かわいげです。
拝殿も現代風でおしゃれな雰囲気です。
拝殿の横には神楽殿もありました。
社殿や境内のデザインが洗練され、新しい形の神社として人が集まる場となっていました。