「桜山さん」として盛岡市民から親しまれる桜山神社に久しぶりに行っていきました。南部藩の名君を奉る神社です。神社の裏には烏帽子岩という巨石があり、信仰をあつめてきました。
参道には飲食店などが立ち並んでいます。とても風情のある地域で、こちらも愛されています。(雨に映える桜山界隈(盛岡市内丸)の風景)
飲食店などが立ち並ぶ参道を抜け、県道を渡ると神社があります。盛岡城跡公園の一角に位置しています。 県道から直接訪れる人の方が多いと思います。
"當神社は南部藩第33代利視公の寛延2年9月第26代の藩主信直公の御神霊を勧請して淡路丸大明神と尊崇し奉ったのに始まる。
次いで文化15年4月藩祖光行公を、また大正元年10月には27代利直公、36代利敬公の御尊霊を合祀して永く郷土守護の神と崇め奉った。
利直公は信直公の長子で父君の遺志を継いで、盛岡城の完成と盛岡市の町造りを成し遂げ盛岡市今日の基礎を築いた英主であり利敬公は朝命を奉じて北海道の警備に従われ且つ朝廷を尊び給ひ敬神崇祖の念篤く、その功によって明治41年従三位追贈の恩命に浴された名君である。
文化9年8月旧地の名に因んで櫻山神社と改称した。
明治14年1月に県社に列格し次いで明治33年10月現在地に奉遷鎮座された。
明治40年11月御造営竣工し、藩祖光行公750年式臨時大祭を齋行した。
尚境内に榊山稲荷三社が鎮齋され賽者が頗る多い。 "
寛延2年(1749)、盛岡藩8代(南部家33代)利視公により盛岡藩初代(南部家26代)信直公御神霊を勧請したのに始まる神社です。信直公は中興の祖といわれる名君です。
山門を抜け、拝殿に向かいます。
拝殿の横に階段があり、烏帽子岩に通じています。
本殿は烏帽子岩に向かう途中に見えます。
まさに烏帽子の形をした巨石が烏帽子岩です。かなりの大きさに圧倒されます。盛岡城築城時に出てきたという巨石で、信仰をあつめてきました。
「烏帽子岩(兜岩)のいわれ」
"盛岡城築城時、この地を掘り下げたときに、大きさ二丈ばかり突出した大石が出てきました。
この場所が、城内の祖神さまの神域にあったため、宝大石とされ、以後吉兆のシンボルとして広く信仰され災害や疫病があった時など、この岩の前で平安祈願の神事が行われ、南部藩盛岡の「お守り岩」として、今日まで崇拝されています。 "
盛岡の「お守り岩」と言われるだけの風格を持った岩です。
盛岡藩の名君を奉っていることや盛岡城内に位置すること、烏帽子岩が裏手にあること、そして参道に風情ある商店街が残っていることなどにより盛岡市民に愛される神社になっているのだと思います。
より大きな地図で 「桜山さん」として愛される桜山神社と烏帽子岩 を表示