鳥越楯跡に社殿を構える鳥越八幡神社(山形県新庄市)に行ってきました。社殿は寛永15年(1638)建造で国指定重要文化財になっています。
鳥越八幡宮


駐車場から少し上ると一ノ鳥居が見えてきます。
鳥越八幡宮


新庄市教育委員会の案内板によると以下のような由緒が書かれています。

鳥越八幡宮由緒

国指定重要文化財(昭和61年12月20日指定)

鳥越八幡神社本殿・拝殿

”鳥越八幡”の名で親しまれているこの神社は、寛永15年(1638)、初代新庄藩主戸沢政盛の養子定盛が鷹狩りに出た折に神威を感じ、城下を一望できる現地に遷して社殿を造営し、城下の鎮めにしたといわれている、この地方では最も古い建物のひとつです。
ここ鳥越の地は、清水大蔵大輔の家臣鳥越九右工門の居城があったところで、その大手口の場所に現在の社殿が建てられています。
本殿は、一間社の流れ造りで、両脇の板壁に力士や鬼面の彫刻を配し、丹と黒漆によって彩色され、各所を華麗な彫刻で飾っています。
拝殿は元禄4年(1691)、ニ代藩主正誠による造営で、桁行三間、梁間二間の入母屋造りです。
本殿と合わせた全体の構成や比例など、随所に洗練された技量が認められ、江戸時代初期における新庄藩の建築技術の高さをうかがうことのできる貴重な建造物です。
正面の八幡宮と記された献額は、済深法親王(112代霊元天皇皇子)が揮毫された写しで、建物の内部にも三将軍(内藤新一郎中将、瀬川章友中将、小磯国昭大将)の書跡や狩野休山、狩野松林藤原惇信などが描いた絵馬が奉納されています。

           平20年6月1日設置 新庄市教育委員会

 

神妙な雰囲気の神社です。
鳥越八幡宮

夫婦スギという大きな杉があります。
夫婦杉


歴史を感じる拝殿です。
鳥越八幡宮

拝殿

済深法親王(112代霊元天皇皇子)が揮毫された写しという献額です。
献額


後に本殿が構えます。本殿

本殿

本殿の壁には力士と鬼面の彫刻があります。左右で阿吽となっているように見えます。彫刻の上には戸沢氏の家紋があります。「丸輪に抜き九曜」と「鶴丸」です。
彫刻と家紋

彫刻と家紋



神社横の階段を上ると広場になっています。 農民劇の土舞台だった場所のようです。
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「松田甚次郎と土舞台」という案内板があります。宮沢賢治の指南で農民劇を始めたことが書かれていました。
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さらに階段があり、鳥越楯跡に繋がっているようです。 戦国時代、大蔵清水氏の重臣鳥越九右衛門の鳥越楯があったところとされています。
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ところどころにベンチや東屋があり、公園として整備されていたようです。
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まだ上れるようですが、途中で断念しました。
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戦国時代の鳥越楯、江戸時代に建立された社殿、昭和初期の農村劇と歴史が刻まれた地です。新庄藩の鎮守の神としての雰囲気を感じる神社でした。

 



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