タイトルだけ見ると内容を勘違いしそうですが、歴史学的見地から中国を分析しています。
中国には「指桑罵槐(しそうばかい)」ということわざがあるそうです。「桑の木を指して槐(えんじゅ)を罵る」、本当の怒りの矛先とは別の物を攻撃するという意味だそうです。このことわざだけでも現在の中国を理解することに役立つと思います。
中国人の行動原理「指桑罵槐」には「バルネラビリティ(脆弱性)の原理」により他人に弱味を見せてはいけないというタブーが働いていると説いています。この原理がなぜ生まれたのかを歴史学的に理由を明らかにしています。
古代から本来の国家として中国が存在したことはなく、交易を中心とした流通システムで結びついた商業都市連合が国となり、王とはマーケットの支配者であったということです。数千年もの間、この様な状態が続き、広大な土地には個人だけが存在しており、自分だけが頼りという徹底した個人主義が根付いたそうです。
この厄介な国、中国 (WAC BUNKO)
また、特に印象に残ったのは中国では古代から共通言語が存在していないことです。漢文と現代中国語は全く違うものだという事にも驚きました。正確な公文書の作成に漢文は利用されてきたそうです。新しい出来事や変化を表現出来ない漢文という手段しかなかったことから情緒や感情を伝える手段がなかったのです。
「時として言葉により、感情表現が制限されるのではないか」という言語学者の話を聞いたことがありますが、感情表現できない言語体系という世界は想像できないものです。
さらに欧米の歴史から最強の国家システムである国民国家(ネーションステート)への変遷の試みについて最終章で一気にまとめられています。
現在の中国も国民国家の樹立には至っておらず、民族や歴史、言葉も違う広大な国を統治するシステムは脈々と続いてきた「皇帝システム」でしかないと結論付けています。
"では、現実に存在してきた「中国」とはなにか。すでに述べたとおり、ただひとり、皇帝のみが「中国」であり、彼が支配する流通システム網だけが、その「帝国」なのである。だから、元などの異民族の帝国であろうと、明などの秘密結社出身の王であろうと、ひとたび皇帝となり、その流通システムを通じた統一支配を行えば、それが「中国」だということになる。"
― 出典: この厄介な国、中国 (WAC BUNKO) , 229ページ より
日本人が中国人を理解出来ない、理解したつもりで勝手に不快に思っている理由の一端をしることが出来ました。