文京区小石川にある「常光山 向西院 源覚寺(げんかくじ)」は眼病平癒の「こんにゃくえんま」として知られる寺院です。寛永元年(1624)、定誉随波上人により現在地に開創されました。
こんにゃくえんま「源覚寺」


源覚寺の本尊は阿弥陀三尊(阿弥陀如来、勢至菩薩、観音菩薩)です。徳川秀忠や徳川家光から篤い信仰を得ていました。
江戸時代に4度の大火(明暦の大火、お薬園火事、戸崎町火事、富坂火事)に見舞われたそうです。本堂などが焼失した中で、本尊やこんにゃくえんま像は残ったそうです。その後の震災や戦災も免れてきました。


境内に入ると左手に「御百度石」という石があります。嘉永5年(1852)建立のものです。「白い石が百ケあります。お百度参りの目安にお使いください」と書かれていました。江戸時代、この寺院ではお百度参りを行う人が多かったのでしょうか。 現在は白い石は数個になっています。
御百度石


正面に進むと「閻魔堂」が見えてきます。こちらに「こんにゃくえんま像」が祀られています。
閻魔堂

「こんにゃくえんま」と言われる閻魔像が中に見えます。
こんにゃくえんま

閻魔像の右目は割れて黄色く濁っているそうです。これには、以下の言い伝えがあります。

"宝暦年代のころ(1751年~1764年)、眼病を患った老婆が閻魔大王に21日間の祈願を行ったところ、夢の中に大王が現れ「願掛けの満願成就の暁には、私の両目の内、ひとつを貴方に差し上げよう」と言われたそうです。
満願の日に、老婆の目は治りました。
以来、大王の右目は盲目となりました。
老婆は感謝のしるしとして好物の「こんにゃく」を断ち、それを供えつづけたということです。 (源覚寺のホームページ より)"


この言い伝えから、眼病平癒の「こんにゃくえんま」として信仰を集めるようになったそうです。

閻魔像は推定で鎌倉時代の作だそうです。 老婆はなぜ、こんにゃくを供え続けたのかが気になります。老婆の好物だったのか、閻魔様の好物なのかと...。
木造閻魔王坐像 案内板


閻魔堂には沢山のこんにゃくが供えられていました。
こんにゃくえんま



こちらの寺院には歯痛緩和のお地蔵さん「塩地蔵尊」があります。自分の治したい身体の部分に塩につけるとご利益があるそうです。
源覚寺開創以前からこの地にあったと伝えられているそうです。
塩地蔵尊



梵鐘は「汎太平洋の鐘」と言われています。この鐘には凄い歴史があります。
昭和12年にサイパンの南洋寺に送られます。サイパン島では時を告げる鐘として使われていたようです。戦禍に飲まれて行方不明となり、アメリカで発見されて戻ってきたという強運の鐘です。
汎太平洋の鐘
鐘には多くの傷が見えました。

汎太平洋の鐘
元禄3年(1690) 粉河丹後守の鋳造により当山に奉納された。
昭和12年(1937) サイパン島南洋寺に転出 南太平洋にひびきわたる。
昭和19年(1944) サイパン島軍民玉砕して 以後消息不明となる。
昭和40年(1965) 米国テキサス州オデッサ市において発見される。 発見者 ミツエ・へスター
昭和49年(1974) カリフォルニア州オークランド市居住 D.V.クレヤー氏によって、サンフランシスコさくら祭りに展示され、その後当山に寄贈される。



「こんにゃくえんま」と「塩地蔵尊」の信仰は篤いようで、お参りに来る人が多くいらっしゃいました。


閻魔様というと怖いというイメージがあります。冥界において生前の罪を裁く神であり、多くの物語にも登場します。

閻魔堂の扉の隙間から見える「こんにゃくえんま」像も威圧感のある"出で立ち"でした。老婆を救ったという言い伝えは、罪を裁く閻魔様はその人の本質を見抜いているということを伝えているのだと思います。 閻魔様はやさしいのです。