ちょっと前の話ですが、10月9日にお茶の水界隈を歩いていて発見したこと。

その日は「お茶の水アートピクニック2010」というイベントが御茶ノ水駅周辺で行われていました。

「文化と歴史の街・お茶の水パネル展」として、江戸から昭和にかけてお茶の水周辺に由来がある人物等をパネルで展示していました。
江戸の古地図があり、何気なく由来の人物を眺めると、「伊達政宗」の名前がありました。由縁の場所は「神田川」とあります。

えっ!?と思い、そのパネルに目をとめました。

徳川家康から、江戸城をどこから攻めるか問われた政宗はお茶の水を指差したそうです。二代将軍秀忠の時に神田山を外堀とする大工事が行われ、水道橋からお茶の水にかけて仙台藩が施工を担当したとのことでした。

このため、この地区は仙台堀や伊達堀とも称されたそうです。

江戸の古地図
江戸末期文久3年(1863年)のお茶の水周辺 

伊達政宗
伊達正宗