2001年3月から翌年3月まで54回にわたり、河北新報朝刊に連載された「開府四百年 仙台藩ものがたり」をまとめたものだそうです。
秀吉の命による政宗の朝鮮半島出兵から物語は始まります。前半は朝鮮半島出兵が仙台藩開府に与えた影響にスポットが当てられています。
新聞社の連載だけあって、多方面への取材によるインタビューが多様されており史実を確かなものとして受け止めることが出来ました。
仙台藩の新田開発、水運による隆盛から戊辰戦争後の衰退まで、その背景まで知ることが出来ました。
仙台藩は豊かな藩だったそうです。それは新田開発を奨励したことに大きく起因します。貞山掘や北上川の付け替えなどにより、水の確保と水運でコメの生産と流通を確保したのです。石巻は江戸へコメを運ぶ港として機能していました。
しかし、その豊かさとコメ一辺倒の経済政策により、保守的な藩体質を生んでしまい、幕末の近代化について行かなかった面もあるそうです。
一方、学問や国際感覚に優れた人材も多く輩出しています。
仙台藩ものがたり
発見としては、
・財政を立て直し名君と言われた5代目藩主の吉村が一関市大東町大原が出世の地との説がある。
・忠臣蔵の浅野内匠頭は一関藩田村家お預けとなり、その屋敷で切腹した。
・日本人で初めて世界一周した津田夫は石巻から江戸に向かう途中に若宮丸で遭難後に漂流した。(これは寺島実郎著世界を知る力 (PHP新書)の中でロシアと日本の古いつながりとして紹介されていたのですが、なんとなく読み流していたものです)
・戊辰戦争後に仙台藩から多くの北海道開拓移民がいた。
などなど、無知な自分には多くの発見がありました。