上野から湯島を経由して本郷を散策しました。本郷は夏目漱石や樋口一葉をはじめ、明治の文豪たちが居を構えた場所です。菊坂近辺には岩手県出身の石川啄木や宮沢賢治の居住跡もあります。
上野アメ横
不忍池
旧岩崎邸庭園
湯島天神
かねやす
見送り坂・見返り坂
東京大学(赤門・三四郎池・安田講堂)
太栄館(旧「蓋平館別館」)
鳳明館(ほうめいかん)
樋口一葉菊坂旧居跡
宮沢賢治旧居跡
金魚坂
アメ横
上野のアメ横、歩くだけも楽しい場所です。いつ来ても活気がありますので元気が貰える場所です。人間が作り出すパワースポットかもしれません。
アメ横は戦後、移動の拠点だった上野駅を中心に発生した闇市が始まりだそうです。闇市が発展した商店街として現存するのはアメ横だけです。生鮮食料品から衣料品、貴金属など、何でも揃います。昔は、服やスニーカーなどを度々買いに来た思い出があります。
アメ横センタービルの2階にあるテラスで休憩しながら、しばらく通りを眺めました。昔から、ここで休憩するのが好きでした。
上野の街はパンダ一色といった感じでした。
(おまけ)
上野駅前のおもちゃ屋さんヤマシロヤにはタミヤ模型仕様の自動販売機がありました。ホビーや模型、フィギュアと何でもある"おもちゃ屋さん"で、上野に来た時には必ず入ってしまうお店です。
不忍池(しのばずのいけ)
上野恩賜公園内にある不忍池です。蓮の花が咲き始めていました。
江戸時代、寛永寺を建立した際に比叡山延暦寺になぞらえたそうです。不忍池を琵琶湖に見立て、弁天島(中之島)が弁天堂を造られたそうです。
NHKのブラタモリで紹介されていましたが、明治時代には池の周りを周回する競馬場がありました。
地下鉄千代田線の建設工事の際には、池の底が抜け、トンネルに水が流れ込む事故があったそうです。
不忍池のハス池です。ハスが一面を埋め尽くします。右奥の緑の屋根が弁天堂です。不忍池は3つに分れていて、他にボート池、カワウが生息する鵜の池があります。
亀が気持ちよさそうに浮いていました。
旧岩崎邸庭園
不忍池から程近い旧岩崎邸は1896年(明治29年)に三菱創設者・岩崎家本邸として建てられました。平成13年10月1日からは都立の庭園として開園しています。昨年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」を見て以来、いつか来てみたかった場所です。
レンガの塀に囲まれています。
設計は英国人のジョサイア・コンドルです。現存するのは洋館・和館・撞球(ビリヤード)室の3棟です。洋館は木造2階建・地下室付きで、近代日本住宅を代表する西洋木造建築です。
旧岩崎邸正面 (建物内は残念ですが、撮影禁止です)
庭園側から、広いテラスです。テラスから庭園を眺めると優雅な気分になりました。
広い庭園です。
横から見ても美しい外観です。
撞球(ビリヤード)室です。山小屋風の作りで、洋館と地下道でつながっているそうです。
建物内は撮影禁止なので紹介出来ませんが、大きさや豪華さに圧倒されました。どの様な生活が送られていたのか、余りにも豪華な造りで想像できません。
湯島天神
文京区湯島にある学問の神様「湯島天神(湯島天満宮)」です。2月には「梅まつり」が開催されます。今年の2月に梅まつりライトアップに行ってきました。
趣のある総檜造りの本殿です。 細工が細かい狛犬が鎮座します。
【湯島天神の縁起】湯島天神ホームページより
"湯島天神は 雄略天皇二年(458)一月 勅命により創建と伝えられ、天之手力雄命を奉斎したのがはじまりで、降って正平十年(1355)二月郷民が菅公の御偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請しあわせて奉祀し、文明10年(1478)十月に、太田道灌これを再建し、天正十八年(1590)徳川家康公が江戸城に入るに及び、特に当社を崇敬すること篤く、翌十九年十一月豊島郡湯島郷に朱印地を寄進し、もって祭祀の料にあて、泰平永き世が続き、文教大いに賑わうようにと菅公の遺風を仰ぎ奉ったのである。
その後、学者・文人の参拝もたえることなく続き、林道春・松永尺五・堀杏庵・僧堯恵・新井白石などの名が見える。将軍徳川綱吉公が湯島聖堂を昌平坂に移すにおよび、この地を久しく文教の中心としていよいよ湯島天満宮を崇敬したのである。
明治五年(1872)十月には郷社に列し、ついで同十八年(1885)八月府社に昇格した。
明治維新以前は、上野東叡山寛永寺が別当を兼ね、喜見院がその職に当った。
元禄十六年(1703)の火災で全焼したので、宝永元年(1704)将軍綱吉公は金五百両を寄進している。
明治十八年に改築された社殿も老朽化が進み、平成七年十二月、後世に残る総檜造りで造営された。 "
男坂
江戸時代はこちらがメインの入口で参道が栄えていたそうです。 男坂は勾配が急です。
女坂
男坂と直角で分れる女坂は緩やかです。階段横には梅が植えられています。
(おまけ)
本殿正面の銅鳥居をお茶の水方面に向かうと、急勾配の坂があります。「実盛坂」です。以前、偶然発見したこと思い出して立ち寄ってみました。本郷台地を実感できる坂です。
この坂にあった看板によると、
「江戸志」によれば「・・・湯島より池の端の辺をすべて長井庄といへり、むかし斎藤別当実盛の居住の地なり・・・」とあるそうです。また、この下の南側に、「実盛塚」や「首洗いの井戸」がこの坂の下にあったという伝説めいた話が「江戸妙子」などにあり、坂の名前になったそうです。
斎藤別当実盛は加賀で戦死しており、実盛を忍び、この様な伝説が生まれたのではないかと書かれていました。
後編では本郷を散歩します。
Comments [2]
No.1rutsumiさん
少しだけ東京で生活していたときのことを思い出します。でも散策なんてしていなく、自分が散策しているイメージを浮かべながら拝見しました。味があるところばかりですね。タミヤの自販機!見たことなかったです。面白い!また、いつもとてもためになりますね~むらごんさんのブログ!!!!ありがとうございます~
No.2 muragonさん
恐縮です。(^^ゞ
ただの散歩好きな人間ですから・・・。
昔、大宮に住んでいたのですが、休みの時には都内を散歩していました。
特に東京の下町が好きです。
最近は歴史を探訪しながら散歩が出来たら最高だと思っています。