前回は「増上寺」(東京都港区芝公園)で一般公開中の「三解脱門」と本堂などを紹介しました。(江戸の大展望台「増上寺」三門と東京タワーを眺める。(「三解脱門特別公開」編))
今回はお江のお墓がある徳川家の墓所「徳川家霊廟」を訪ねます。
戦後の初の「三解脱門特別公開」と「徳川家霊廟特別公開」が同時開催されています。徳川家の墓所にはお江のお墓があります。
「三解脱門特別公開」
・平成23年11月30日まで 10:00~16:00(入場は15:30まで)
・500円(記念品付き)
「徳川家霊廟特別公開」
・平成24年1月31日まで 10:00~16:00
12月27日~31日はお休み
・500円(パンフレット・記念品付き)
特別公開日は例年通り無料にて行います。(記念品はつきません)
前回紹介しましたが、増上寺は徳川家の菩提寺であり、江戸時代には20数万坪の境内地を誇り、常時3000人もの僧侶が修学する大寺院でした。
本堂から徳川家墓所に向かうと、「四菩薩像」がありました。
「もとはこの場所の北西、地蔵山に安置されていた。
西向の観音像に対し東向きであった。
正嘉2年(1258)の作と伝えられる古像である。」
鎌倉時代中期の作ということになります。かなり古い像です。
「四菩薩像」の裏手、緑に囲まれた場所に徳川家墓所がありました。荘厳な「鋳抜門」があり、門には葵の御紋が、両脇を上り龍と下り龍が守ります。
内側から見た「鋳抜門」です。
チケット(500円)を購入して、「徳川家霊廟」に入りました。木々に囲まれた中に将軍や正室の霊廟が立ち並びます。東京の真ん中とは思えない静寂の空間に、二代秀忠公・六代家宣公・七大家継公・九代家重公・十二代家慶公・十四代家重公の6人の将軍の、崇源院(二代秀忠公正室、家光公の実母、お江)ほか5人の正室などの霊廟があります。
ここからも東京タワーが見えました。
「戦前、旧徳川将軍家霊廟は御霊屋(おたまや)とも呼ばれ、増上寺大殿の南北(左右)に立ち並んでいました。
墓所・本殿・拝殿を中心とした多くの施設からなり、当時の最高の技術が駆使された厳粛かつ壮麗な霊廟は、いずれも国宝に指定され格調ある佇まいでした。
その後昭和20年(1945)の空襲直撃で大半が焼失し、残った建物もその指定を解除されました。
正面の門は旧国宝で「鋳抜門」(いぬきもん)といわれ、文昭院殿霊廟(徳川家六代将軍家宣公)の宝塔前『中門』であったものを移築しました。
左右の扉は共に青銅製で5個ずつ葵紋を配し、両脇には昇り龍・下り龍が鋳抜かれ、その荘厳さは日光東照宮と並び評された往時の姿を今に伝える数少ない遺構です。
墓所には、二代秀忠公・六代家宣公・七大家継公・九代家重公・十二代家慶公・十四代家重公の六人の将軍のほか、崇源院(二代秀忠公正室、家光公の実母、お江)、静寛院宮(十四代家重公正室和宮)ら五人の正室、桂昌院(三代家光公側室、五代綱吉公実母)はじめ五人の側室、及び三代家光公第三子甲府宰相綱重公ほか歴代将軍の子女多数が埋葬されています。」
戦争で焼失しなければ、荘厳で豪華な霊廟が残っていたものと思われ、残念です。特に二代秀忠公の霊廟は墓所・本殿・拝殿とかなりの広い施設だったようです。その場所は2001年まで「芝ゴルフ練習場」でした。
左が十四代家重公、右が六代家宣公の墓所です。
六代家宣公の墓所です。
二代秀忠公と正室のお江(崇源院)の宝塔です。
元々、秀忠公の宝塔は木造の荘厳なつくりでしたが、戦時に焼失してしまったために正室である崇源院とともに合祀されて、ここに移されています。
焼失前二代将軍秀忠公夫妻霊廟の写真が展示してありました。
秀忠公の霊廟はかなり豪華なつくりだったようです。焼失前は国宝でした。
こちらはお江の霊廟です。
特別公開の記念品で絵葉書をいただきました。
中には焼失前の徳川将軍霊廟の絵葉書が10枚入っていました。
絵葉書と一緒に「大日本東京芝三縁山増上寺境内全図」のレプリカが入っていました。図の下の方に「明治34年」と「東京浅草茅町精行社銅版部製」という文字があります。銅版画で作られたもののようです。 精行社はこの様な図を作成していた印刷会社のようです。
パンフレットもいただきました。
霊廟を出て、安国殿に向かいます。
木造の安国殿は平成23年建立とありましたので、まだ出来たばかりです。
安国殿の上にも東京タワーが見えます。
安国殿の向かいには「西向観音像」がありました。
三解脱門をくぐり、日比谷通りに出ました。しかし、表門はこの先にある大門で、まだ増上寺の境内ということになります。
日比谷通りを都営三田線御成門駅方面に進むと、「有章院霊廟二天門」がありました。
有章院は七代将軍家継公の院号です。家継公は3歳で将軍に就き、8歳で亡くなりました。有章院霊廟は吉宗公が享保2年(1717)に建立し、日光東照宮に劣らぬほどの豪華なものでした。
戦争で焼失しましたが、二天門が残ったそうです。右に北方を守る多聞天、左に西方を守る広目天が収められています。
今回は、「三解脱門」と「徳川家霊廟」が特別公開となっていて、どちらも見学することが出来ました。特に「三解脱門」は戦後初めて一般公開されたそうで、貴重な体験をすることが出来ました。
江戸に触れることが出来るお寺であり、徳川家の栄華を感じることが出来ました。戦争で焼失した絢爛豪華な霊廟が、どんなものだったのか思いは巡ります。