3月10日、気仙沼市南町にある「気仙沼復興商店街」に行ってきました。昨年12月24日にオープンした仮設商店街です。
独立行政法人中小企業基盤整備機構(中小機構)が東日本大震災で被災した地域の仮設店舗や仮設工場などを整備する「仮設施設整備事業」を活用した仮設商店街です。
飲食店をはじめ、生鮮食料品や生活用品、床屋さんなどがプレハブに立ち並びます。建設当初、被災地最大級の仮設商店街として話題を呼びました。
気仙沼の中心商店街は街の産業形成からも、海に近い場所に面していました。津波による被害は甚大で、商店街の人たちの生活再建にとって一刻も早い商売再開が必要でした。
被災した商店の再開には資金力等によっても大きな差が出てくると思います。資金力があれば集客が期待できる場所で、さらには安全な地での再開が可能です。資金力が少ない場合には仮設商店街で再開するのが早い方法になってきます。何もできずに諦めている人がいるのも事実だと思います。
この南町では被災した南町の土地での商売再開に踏み切りました。この土地に対する思いがあったからだと思います。
気仙沼復興商店街は「南町紫市場」と称されています。南町の人たちが近くの紫神社で避難生活をしていたことが名前の由来だと思います。紫市場は西市場に3棟、東市場に5棟のプレハブが建てられています。プレハブには51の店舗が入っています。
仮設商店街の周りは壊れた建物が多く残ったままです。おそらく、夜になれば周りは真っ暗になるのではないでしょうか。
現在は市外からの工事関係者やボランティア、見学に来た人などが商店街を利用していると思います。最近では3月6日に放送されたNHKスペシャル「気仙沼人情商店街」を見て訪れた人も多いのではないでしょうか。
本来は地域コミュニティの中で成り立つのが商店街であり、住んでいる人が少ない場所での営業はリスクでもあります。
仮設住宅は高台に建てられ、仮設商店街付近で生活している人は少ないと思われます。生活の場と商店街が離れてしまっているという現実に陥っているのです。
(仮設住宅と仮設商店街を往復する無料の送迎バスでもあればいいのかなと思いましたが、そう簡単でもないでしょう)
仮設住宅に住んでいる高齢者にとっては買い物が大変だという課題もあるようです。仮設住宅と仮設店舗をセットにすることがベストだと思いますが、今回の災害では高台の土地が少ないことが妨げになっています。
でも、商店街の人たちはがんばっています。
商店街の一角で列が出来ていました。何かの特別販売が行われていたようです。イベントを繰り返すことも集客に繋がるのかなと思います。
被災した空き店舗では足湯のサービスが行われていて、人がいっぱいでした。
青果店の塚本商店に入ると、果物や野菜、卵などがあり、奥では漬物が売られていました。とても優しく人情味のあるおじさんの接客に心が和みました。人のふれあいが商店街の原点であることを思い出します。
塚本商店では漬物を買ってきました。次の日に食べた方が美味しいよとおじさんに教えていただきました。楽しみにして、今日のお昼に頂きました。
被災地では仮設住宅ができ、仮設商店街ができ、当面の生活基盤を築くことが急がれました。その中で多くの課題が残ったのも事実です。こんなことを言うと語弊がありあますが、災害から逃げられない日本にとってはこの課題も財産なのです。このことを思えば、この災害を日本人全体の問題として考える人が増えるのではないでしょうか。
だからこそ、政府の原子力災害対策本部が議事録を残していなかったという事実には驚かされるのです。「失敗は成功の母」であり、事実を事実として伝えることが大切なことです。
とは言え、現実に苦しんでいる人がまだまだいる中にあって、月並みですが一刻も早い復興を願うばかりです。
ただ一つ言える確実なことは、塚本商店のおじさんが作った漬物は「ちょっとしょっぱいけど、美味い!」ということです。
気仙沼復興商店街の場所はここです。