新渡戸稲造著(山本博文訳)『現代語訳 武士道』(ちくま新書)を読みました。
読書感想文『現代語訳 武士道』(新渡戸稲造 著、 山本博文 訳)


『武士道』は1899年(明治32年)にアメリカで"BUSHIDO The Soul of Japan"として出版され、世界的ベストセラーになりました。日本でも同時期に英文版が出版されています。1908年(明治41年)には桜井鴎村による和訳が出版されましたが漢文調であり、その素養がある人が読めるようなものだったようです。1938年(昭和13年)になり、矢内原忠雄による日本語訳が岩波文庫から出版されました。

本書は現代語訳として、さらに読みやすい内容になっています。岩波文庫版を読める自信が無かったので、こちらの現代語訳を手にとりました。


『武士道』と同時期には以前ブログで紹介した内村鑑三『代表的日本人』、岡倉天心『茶の本』が同じく英文で出版されています。新渡戸稲造と内村鑑三は札幌農学校で同級生(2期生)でした。2人とも武士の子として生まれ、大学でキリスト教徒となったあとも武士道の精神に強い影響を受けていたようです。

新渡戸稲造は盛岡藩士の子であり、岩手県出身ということになります。盛岡には新渡戸稲造の銅像や新渡戸稲造にちなんだビクトリアロードという道が整備されています。


ベルギーの法学者ド・ラブレーから日本の学校では宗教教育がないのにどうやって道徳教育を行っているのか問われ、即答出来なかったことが執筆のきっかけとしています。その10年後、『武士道』が執筆されました。

『武士道』の中で印象的なのが、全編を通じて欧米の偉人や思想家、哲学者などの言葉を多く引用していることです。これにより欧米人の理解を促すことにつながったのだと思います。また、武士道が欧米の思想や哲学に通じる点、あるいは武士道の方が優れている点を示したかったのだと思います。

引用の豊富さは、無類の読書家だった新渡戸の見識の深さを示しています。明治の時代にどのように勉強をしたのか、とても興味深いです。簡単に書物や情報が手に入る現代に暮らしているにもかかわらず、勉強を疎かにしてきたことを猛省せずにいられません。


武士道の精神において根幹をなすものは、「忠義」を要石として「義」、「勇気」、「仁」、「礼」、「信と誠」、「名誉」によって語られています。

「礼」では以下の文が印象的でした。

"言い換えれば、正しい礼儀作法をたえず修練すれば、身体のあらゆる部分、あらゆる機能に完全な秩序がもたらされるようになり、身体そのものとそれを取り巻く環境とが調和し、肉体を精神が統御するようになる、ということである。"―P70

日本人として大切にしなければならないことが「礼」であると感じました。現代社会においては、他人に対する「礼」を失いかけていると思います。


さらに教育、切腹、刀、女性と具体例をあげ、武士道の精神を語っていきます。

本来、真の武士は死を卑怯とみなしました。一方、切腹は礼法上および法律上の制度として、罪を犯した者に名誉ある死を与えるものだったようです。自己の誠実を証明させる機会を与えることは、相手に礼を尽くす考え方があったのだと思います。


最後の3章では武士道が日本人に与えた影響を称え、武士道の「今」を憂いつつも、未来に武士道の力が生き延びるとしています。

西欧人が愛するバラは「甘美さの下に棘を隠していること、生に強く執着し時ならず散るよりはむしろ茎の上で朽ちることを選び」とし、死への怖れを例えています。日本人が愛する桜は「自然が呼ぶ時にいつでも生を捨てる準備ができている。その色は華美ではなく、その香りは淡く、人を飽きさせない」と対比しています。日本人が桜を愛する理由は、古代から自然災害が多かったことによる死生観や人生観も反映しているように思えます。生き方や死に対する美徳も感じます。


訳者の解説で、16世紀に三度日本を訪れたイエズス会巡察師ヴァリニャーノの言葉を紹介しています。

"「ヨーロッパ人と異なり、彼らは悲嘆や不平、あるいは窮状を語っても、感情に走らない。すなわち、人を訪ねた時に相手に不愉快なことを言うべきではないと心に期しているので、決して自分の苦労や不幸や悲嘆を口にしない。その理由は、彼らはあらゆる苦しみに耐えることができるし、逆境にあっても大いなる勇気を示すことを信条としているので、苦悩を能うる限り胸中にしまっておくからである。誰かに逢ったり訪問したりする時、彼らは常に強い勇気と明快な表情を示し、自らの苦労については一言も触れないか、あるいは何も感ぜず、少しも気にかけていないかのような態度で、ただ一言それに触れて、あとは一笑に附してしまうだけである。」"―P217

この引用をもとに、新渡戸が武士の美徳として描いたものは日本人一般の美徳だったと解説しています。


現在の価値観で単純に考えれば、封建制度であった江戸時代以前に日本人の美徳が培われたことは奇跡的とも思えます。君主に対する忠義が要石にあったことを思えば、当時の藩主には領民に対する礼があり、主従関係の中に武士道が根づいていたのだと思います。これは、戦後の復興の中で日本経済をけん引してきた、いわゆる日本的企業経営に通じる部分があると感じました。

新自由主義・グローバリズムは自己中心的であり、他人に対する礼を感じることが出来ないと思えます。美徳が失われつつある時代を生きる者として、日本人の美徳を知ることが出来る良書でした。


キリスト教徒である新渡戸は、キリスト教国の倫理道徳よりも日本の武士道の方が優れている点があることを示したかったのだと思います。同時に、日本の現状を憂い、武士道の道徳観を残したかったのだと思います。