京都、播磨と共に日本三清水に数えられる、花巻市にある音羽山「清水寺」を紹介します。京都の清水寺と同じ音羽山と号しています。
音羽山「清水寺」


天台寺門宗(滋賀県大津市の園城寺が御本山)に属したお寺です。十一面観音様とお不動様を御本尊様として祀っています。和賀、稗貫、柴波の三郡からなる当国三十三観音霊場第一番札所であり、奥州三十三観音の一つとされています。

周辺は田畑に囲まれて、非常に静かな場所にあります。
周囲

慈眼水堂(目洗いすず)
慈眼水堂(目洗いすず)

境内の入り口から北側に100mほどの場所にあります。井戸の水で眼を洗うと霊験があるそうです。御本尊の観音様は、眼の観音様とも言われ、昔から眼病平癒の祈願も多いそうです。「この寺の境内に三所の清水あり。一つは慈眼水という。二つは門外の南にあり内室の清水という。三つは寅の方にあり光明水という。」と古文書に記述があるそうです。




境内入り口
境内入り口


子持ち杉(神木)
子持ち杉(神木)

子持ち杉(神木)

『清水観世音に昔から子持ちと云われる杉の大木があります。あたかも子孫繁栄を表わすかのように、幹が4つに分かれており、その根本や幹に生えている苔を煎じて飲むと子宝に恵まれると云われていました。
昔子宝に恵まれない夫婦が観音様に参詣し、この苔を飲んだら玉の様な女の子を授かり、その子が城中へ上がって殿に見いだされ、産んだ子が城主なったので所領の一部を寄進したと云われています』



音羽山清水寺観世音由緒
音羽山清水寺観世音由緒


『当山は大同2(807)征夷大将軍坂上田村麻呂の草創で京都、播磨国の清水と共に日本三清水と称し昔より広くその名を知られる古刹にして奥州三十三観音の一つと伝えられ現在は音羽山清水寺と号し天台寺門宗(三井寺派)である。
延暦年中将軍詔を奉じこの地に蝦夷を討ったが、賊勢勇猛で苦戦のため持佛の観音を兜より取り出し祈願した処観音の加被力により平定することが出来た凱旋後戦捷を桊聞し宣撫と菩提の為に一宇を建立し閻浮檀金の一寸八分の十一面観音を安置して鎮護国家の霊場とした。その後慈覚大師東国へ下向教化の際橡(とち)の木で七尺余の観音像を彫刻してその胸中に収め奉ったと伝えられている。和賀、稗貫、紫波三十三補陀落第一番の札所である。』




歴史を感じるお地蔵様です。
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奥に山門が見えてきます。
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山門の右側には観音堂が見えます。
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御神馬堂
御神馬堂

御神馬堂

神社に祀られることが多い御新馬ですが、神仏習合のなごりだと思います。立派な御新馬が祀られています。



山門を右手に見て左に折れると、南側の入り口がありました。
南側の入り口

参道


途中には毘沙門天堂があります。由緒にあった坂上田村麻呂は毘沙門天の化身という言い伝えがあったと思います。
毘沙門天堂


狛犬、山門、観音堂と一直線に見えます。
山門

狛犬


山門(仁王門)、素晴らしい造りの門です。
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『昭和2年(1927)に建立された清水山門(仁王門)は、当時の建築物としては、すばらしい山門だといわれております。この棲上に当国三十三札所の観音像を安置してあります。藩政時代南部領、和賀、稗貫、紫波の三郡に三十三の札所を配置札所めぐりが行われ現在も当国三十三札所として多くの人達が巡拝をしています。札所巡りは1ヶ所1ヶ所参拝して歩くのが本来であるが都合で参拝できかねる場合、1ヶ所で全部参拝できるようにと山門建立の時に楼上に安置したものであります。尚回廊の上に素掘りの十二支があるがこれは方角を示すものである。』


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十二支が見えます。馬(右)と羊。
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仁王像です。
仁王像阿像

仁王像吽像



観音堂
観音堂

観音堂

観音堂

御本尊様の十一面観音像を祀っています。 文化10年(1813) の改築だそうで、昔の浅草寺のお堂を模したと言われています。

慈覚大師作と伝えられる7尺余りの観音様の中に御本尊の十一面観音様が納められていると伝えられています。御開帳の時以外は拝観できませんが、最後の御開帳は昭和3年だそうです。

 
観音堂

観音堂

「清水護寺」の額は、南部家最後の殿様、第40代盛岡藩主南部利剛(としひさ)公の書だそうです。


絵馬
観音堂



千体薬師堂が観音堂の横にあります。
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『昔、清水寺に参拝する人達がその願いを仏像に托して奉納し、沢山集まることにより御堂を建てて祀ったのがこの前身であります。その中で最も多かったのが薬師様であったので千体薬師堂と呼ばれるようになった。昭和36年頃台風で古いお堂が倒壊したので、昭和40年に市内近在より無病息災を祈願し1人1体の寄進により再建されたのが現在のお堂であります。』

寄進者の名前を記した薬師如来像が、千体以上も祀られています。中央には、御本尊薬師如来座像が祀られています。花巻の仏師佐藤瑞圭師の作だそうです。




田畑に囲まれた静かな場所に位置して、広い境内は静かな空気に包まれていました。山門(仁王門)の造りは素晴らしいものでした。