名古屋のレトロでお洒落な街、「覚王山」の散歩を紹介します(散策コースマップは最後)。名古屋の中心部は近代的な建物が立ち並び、大都会という印象ですが、覚王山(かくおうざん)地区はレトロな雰囲気とお洒落なお店が混在する魅力的な街です。
日本で唯一お釈迦様の遺骨を安置する寺院「日泰寺」が核となり広がった街だと思います。
名古屋は、木曽三川(木曾川・長良川・揖斐川)によって形成された沖積平野である「濃尾平野」のイメージが強く、平坦な街並みだけのように思っていました。覚王山一帯は起伏に富んで坂道が多い場所でした。
日泰寺の参道から西側エリアを進んで行きます。
急な坂道があります。
急な坂道の下には段丘のような地形。
長~い坂道も。
四観音道の案内板
日泰寺参道の一本西側の道は「四観音道」と呼ばれる古道です。
"四観音道
江戸時代の中期から、名古屋城を囲む尾張四観音(甚目寺、荒子、笠寺、竜泉寺)を巡拝する風習があり、これらの寺に通じる道を四観音道と呼んだ。
千種区内には笠寺と竜泉寺を結ぶ道が残っており、その名残を楽しむことができる。 設置者 千種区役所"
料亭 松楓閣
昭和9年(1934)に作られた老舗料亭。1,500坪の敷地に数寄屋造りの建物と庭園があります。
心々亭茶寮
精進料理、ヤーコン薬膳、日本茶カフェのお店。
覚王山アパート
四観音道沿いにある、2階建ての古い木造アパートを改装した「覚王山アパート」です。アーティストやクリエーターの手作り作品やアトリエ、カフェなどが集まっています。
「syoboii*」というお店で、コルクに描いたコケシを購入しました。作家さんは日本の民芸品が好きで、自分の想像の世界で民芸品を描いているそうです。
覚王山でいただいた地図。
日泰寺参道に入ります。
弘法寺
丸型郵便ポスト
昔懐かしい丸い鉄製の郵便ポストが残っていました。
千体地蔵堂
日泰寺の門前にある千体地蔵堂。中にはお地蔵さんが沢山祀られているようです。
日泰寺
日本で唯一お釈迦様の遺骨(タイ国王から寄贈)を安置するお寺です。日本とタイで「日泰寺」という名称になったのだとか。
"覚王山 日泰寺
タイ(シャム国)国王から寄贈された釈迦の舎利(遺骨)をまつるため、明治37年(1904年)建立されたわが国唯一の超宗派の国際的寺院である。
山号は釈迦を表す"覚王"寺号は日タイの友好を願い"日泰寺"と名付けられた。
ガンダーラ式奉安塔は、全国でもまれな一大石造塔である。"
日泰寺の山門から右手に折れ、四観音道に戻ります。
四観音道案内板
黒塀
庭園ギャラリーいち倫
昭和初期に別荘として建てられた家屋を利用したカフェです。
門をくぐると庭園が広がり、散策することもできます。
カフェからは庭園を眺めながら、ランチやお茶が楽しめます。
なごみの散歩道
この階段を下りると「和みの散歩道」があるようです。
池内猪高線高架下側道を「和みの散歩道」として整備したそうです。建設反対運動などの経緯があったようですが、名古屋市立大生のアイデアを盛り込んで整備されたようです。大正時代のレンガ(鍋屋上野浄水場貯水池を解体した際の廃材)を敷き詰めた道が整備されています。
池内猪高線を渡ります。
鉈薬師堂
境内には入れませんでした。
"鉈(なた)薬師
寛文9年(1669)明国の帰化人、張振甫(ちょうしんぽ)が、もと上野村陽光院(現、永弘院)にあった薬師堂を、尾張2代藩主徳川光友の援助を得て移したもので、医王堂ともいわれる。堂内には本尊の薬師如来座像のほか、鉈彫りで有名な円空(江戸初期の僧)作と伝えられる日光・月光の二菩薩、守護神の十二神将の像が安置してある。
境内に、画人中林竹洞や山本梅逸らの碑がある。
名古屋市教育委員会"
東山給水塔
昭和5年3月に建設された東山給水塔。昭和48年まで覚王山一帯に給水するための配水塔として利用されていたそうです。昭和54年からは災害時等の応急給水施設として使用されています。
日泰寺舎利殿
日泰寺の斎場です。葬儀会場があるそうです。舎利殿境内にある「奉安塔」の中に仏舎利(釈迦の遺骨)が安置されています。
日泰寺方面に戻ります。
石像群
日泰寺の裏に石像が沢山祀られていました。
覚王山八十八ヶ所霊場
明治42年(1909)から大正初期にかけて作られたもののようです。日泰寺から自由ヶ丘付近まで札所が点在しています。
揚輝荘 北園
伴華楼(ばんがろう)
工事中のために外観は見られませんでした。昭和4年(1929)、尾張徳川家ゆかりの座敷に洋室等を加えて建築された建物。
白雲橋(はくうんきょう)
京都の修学院離宮の千歳橋を模した廊橋。龍の天井絵、手彫りの白木擬宝珠などが見られます。
三賞亭(さんしょうてい)
大正7年(1918)、移築された揚輝荘最初の建物。茶室。
北庭園
池泉回遊式庭園。
揚輝荘 南園
聴松閣(ちょうしょうかく)
昭和12年(1937)建築、山荘風の外観をした迎賓館。地上三階の各室は各国様式があり、地階はインド様式。
揚輝荘座敷(ようきそうざしき)
大正8年(1919)に移築した屋敷。ベンガラ色の土壁と杉皮張りの腰壁。
南庭園
回遊式の枯山水石庭。築地塀が残されています。
長い坂道 旧昭和塾堂
右上に見えるのは、昭和4(1929)に建設された旧昭和塾堂。青年会の活動が盛んだったころ、愛知県が精神修養の施設として建設されました。
戦時中は陸軍や東海軍司令部、戦後は名古屋大学医学部基礎医学系諸教室、愛知県教育文化研究所、千種区役所仮庁舎として利用されました。現在も愛知学院大学大学院歯学部研究棟として使用されているそうです。
日泰寺の参道に戻ります。
長屋
参道には長屋に入ったお店が並んでいます。
たこ八
串カツとドテ煮丼が美味しいお店です。
坂道が多く、古さと新しさが混在した街でした。街歩きに楽しい場所だと思います。