2月28日、遠野市のあえりあ遠野で開催された井沢元彦氏講演会「遠野物語に見る日本と日本人」に行ってきました。井沢元彦氏と言えば、「逆説の日本史」で有名な作家です。
逆説の日本史17 江戸成熟編 アイヌ民族と幕府崩壊の謎
2011年2月の記事一覧
2010年8月27日にタバコをやめて6ヶ月となりました。副流煙に耐えながら、失敗せずに1本も吸っていません。特に飲み会の時は辛いものがありますが、だいぶ慣れて来ました。
◎iPhoneの禁煙支援アプリ『只今禁煙中』のデータ
・183日間、禁煙達成中
・使うはずだった たばこ代 5万4900円
(1本300円で計算しているので本当は+15000円)
・短くなるはずだった 寿命 13日間
・本来は吸うはずだった たばこの本数 3660本
2011.1.31のエントリー「Twitterの投稿をFacebookのニュースフィードに連動させてみました。」では、Facebookの「Twitter」アプリとウェブクライアントの「Hootsuite」と「Seesmic」について記事を書きました。
今回はTwitter(ツイッター)のつぶやきをFacebook(フェイスブック)に連携、連動させるアプリ「Smart Tweets」の設定をしてみました。
「Smart Tweets」アプリ使うと@replies(リプライ)、@mentions(メンション)、RT(リツイート)、hashtags(ハッシュタグ) の有無でフィルターをかけてFacebookに投稿されます。「Twitter」アプリよりもエラーが少ないという利点もあるようです。Twitterとのタイムラグも少ないようでした。
≪「Smart Tweets」の設定方法≫
Twitterの公式ページでログインしておきます。
Facebookの検索窓に「Smart Tweets」と入れて検索します。
「Smart Tweets」ページ左上の「アプリへ移動」をクリックします。
アプリのページに移動して「Install to Prpfile」をクリックします。
「許可する」ボタンをクリックします。
画面下の「Click here to Authorize with Twitter」をクリックします。
Twitterからアプリとの接続許可を聞かれるので「許可する」をクリックします。
この画面が出れば接続完了のようです。
@replies(リプライ)、@mentions(メンション)、RT(リツイート)、hashtags(ハッシュタグ)もFacebookに送りたい場合には「Settings」タブからチェックを入れて設定可能です。
アプリの「Home」タブではTweetの連動状況を確認できます。
純粋なTweet(つぶやき)のみをフィルリングしてFacebookに投稿してくれるというアプリです。Twitterとのタイムラグも少ないです。
Facebook見習い中の身としては、色々試しながら良い方法を模索(Twitterの連携自体をどうするかも含め)していきたいと思います。
ということで、取り敢えず「Smart Tweets」アプリを解除しようと思ったのですが、どうすればいいの??状態でしたが以下で削除可能です。
ホームの左メニューから「アプリ」を選ぶと使用しているアプリが表示されます。
一覧下の「他を見る」をクリックします。
一覧下の「こちらをクリック」をクリックします。
「Smart Tweets」を選択して、アプリを削除します。
こちらに詳しく書きました。「Facebookのアプリ(smart tweets)を削除、解除する方法。」
待乳山聖天から今戸神社(縁結びの神様「今戸神社」に行って来ました。)に向かう途中に川が無いのに橋だけが残る場所があります。その橋は「今戸橋」、川を埋め立てて作った細長い公園「山谷掘公園」(台東区東浅草、浅草)の隅田川側の起点です。昭和50年から昭和53年にかけて埋め立てられたようです。
多くの木々が植えられた緑の多い公園です。桜が多いので春には混み合うのではないでしょうか。
山谷堀は隅田川から都下水道局ポンプ場までの約700mで、飛鳥山の北側、王子権現の下を通じる音無川(北区)を水源としていたようです。江戸時代、遊郭吉原への通路の一つであり、吉原に行くことを"山谷通い"とも言ったそうです。猪牙舟で山谷堀が賑わっていたようで、それが粋だったようです。
2つ目の橋「聖天橋」があります。近くにある待乳山聖天から名前をとったものと思われます。
朝倉文夫氏の「あこがれ」像です。平成5年10月1日に宣言された「台東区健康都市宣言」を記念して、台東区の健康施策の象徴として建てられたそうです。戦後の新しい日本の女性像で、健康的で清潔な美を象徴しているそうです。
ほぼ中間地点にある「山谷掘橋」です。この様な親柱の橋が多いようでした。
親柱に山谷掘橋来歴が埋め込まれています。
本橋ハ帝都復興事業トシテ新設シタルモノナリ
一、起工 昭和四年五月
一、竣功 昭和四年九月
一、公費 壹萬九千四百圓 19,400円
関東大震災後の帝都復興事業として新設された橋だと分ります。
正岡子規の『牡丹載せて今戸へ帰る小舟かな』という句碑がありました。句碑はもうひとつあるようです。
「紙洗橋」の来歴。紙洗いとあることから、この近辺では紙の生産が行われていたのかもしれません。
この辺りは護岸のなごりかもしれません。
山谷掘り公園の終点にある「地方橋」です。都下水道局ポンプ場が近くにあります。
地方橋から千石通り商店街を通り抜ければ、浅草観光の中心地に向かいます。
全ての橋を紹介しきれませんでしたが、全部で8つの橋があったと思います。正に究極の落ちない橋達でした。
今戸橋 - 聖天橋 - 吉野橋 - 正法寺橋 - 山谷堀橋 - 紙洗橋 - 地方新橋 - 地方橋
「山谷掘公園」地図
縁結びのパワースポットとして有名な「今戸神社」に行って来ました。東京スカイツリーを隅田川沿いに眺めながら歩いていて気付いたら今戸神社に着きました。
「今戸神社」は浅草からほど近い台東区今戸にあります。浅草寺から約1kmという距離です。水上バス「東京水辺ライン」の隅田川の桜橋発着場がすぐ近くにあります。
浅草名所七福神の一つだそうです。
大黒天:浅草寺 |
こちらの神社には女性でイラストレーターとしても活躍している美人神主さんがいることでも有名ですが、お会いすることは出来ませんでした...。神社の絵馬やマップなども書いているようです。(女性神主さんのブログ)
縁起が書かれた看板には「当社は元今戸八幡宮と称し、後冷泉天皇の時代康平6年(1063)源頼義、義家父子は勅命に依り奥州の夷賊安太夫安倍貞任(やすだゆうあべのさだとう)、宗任(むねとう)を討伐の折今戸の地に到り、京都の石清水八幡を鎌倉鶴ヶ岡と浅草今津村(現今戸)に勧請しました。・・・・・・・・・」とあります。
こちらの絵馬は丸い絵馬で招き猫の絵が書いてあります。女性神主さんの絵です。ほとんどが縁結びの願いが書かれているのだと思います。
「今戸焼発祥の地」と「沖田総司終焉の地」の石碑があります。
かわいい招き猫が並んだ石像がありました。「お江戸は浅草 今戸で生まれ 愛され続ける 招き猫」とあります。招き猫の発祥の地との云われもあるそうです。
今戸にただ一軒残る創業500年の今戸焼の窯元今戸焼白井の「今戸焼招き猫」は凄まじい人気で5万人待ちというブログ記事を見たことがあります。
権現造りの御社殿は昭和46年に造営されたものだそうです。私と同じアラフォーです。
ご祭神は應神天皇(おうじんてんのう)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)、浅草七福神の一神・福禄寿が祀られています。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の二柱の神が祀られていることから、国土を創成し、諸神を生み、山海や草木を生した夫婦神で、古くから産霊(むすび)の神として知られ、縁を結び、生産の基盤を固める神として人気がある神社です。特に若い女性を中心に人気を集めているようです。
この日は日曜日の朝でしたが、若い女性に限らず、多くの女性が参拝に来ていました。団体で来ている女性の方々もいらっしゃいました。
神田淡路町老舗そば店『かんだやぶそば』(神田淡路町)で旬のお薦め「かきそば」を食べました。雪が降る寒い中、結構な距離を歩いた後でしたので、温かいそばを選択しました。
明治13年(1880年)創業という老舗です。
「かんだやぶそば」周辺は老舗や名店が多く風情がある地区だと思います。「かんだやぶそば」は板塀に囲まれて庭もきれいで料亭のような雰囲気です。その外観から、初めて行くと敷居が高い気もします。
店内も名店といった風情に溢れるお店です。お店の雰囲気を楽しめるのも老舗の良いところだと思います。
注文が入ると独特の口調(口上とも言うべき)で「せいろうぅ いちまいぃ~」という声に続けて店員さん達が繰り返します。
昼間でもお酒を飲んでいる人が多いのも東京の老舗そば屋といった感じを受けました。酒のつまみになりそうなメニューもあります。
『かきそば』は思ったより粒の大きな牡蠣が入り、上品なつゆに牡蠣のエキスが溶け込んでいました。ゆずが乗せられていて、ゆずの香りが効いていました。盛りは少なめですので、あっという間にそばを食べてしまいました。
驚いたのは厨房にいる職人さんの多さです。そば屋とは思えない程の人数で調理をしていました。たぶんですが、修行の人も多いのだと思います。
味だけでなく、店の雰囲気を味わえる神田の名店でした。
2月13日、隅田川に架かる3つの橋「駒形橋」、「吾妻橋」、「言問橋」の浅草側から東京スカイツリーを眺めてみました。東京スカイツリーは574mでした。634m(むさし)ですから、あと60mです。
「駒形橋」
・1927年(昭和2年)竣工
・橋長 149.6m
橋名は駒形堂に由来します。浅草通りを渡す橋となります。
水色の塗装が綺麗なアーチ橋です。東京スカイツリーの左側にアサヒビール本社のアサヒビールタワーとスーパードライホールの「炎のオブジェ」が見えます。
この付近にはバンダイ本社やドジョウ料理の「駒形どぜう」があります。
「吾妻橋」
・1931年(昭和6年)竣工
・橋長 150m
浅草観光の中心部から近く、雷門通りを渡す橋です。
鮮やかな赤色の塗装が目を引く橋です。東京都観光汽船の桟橋である浅草ステーションが橋のたもとにあります。
泡のあふれるビールジョッキをイメージしたアサヒビールタワーと墨田区庁舎・すみだリバーサイドホールの間に東京スカイツリーが見えます。
「言問橋」
・1928年(昭和3年)竣工
・橋長 238.7m
吾妻橋から隅田公園内を通り、東武鉄道伊勢崎線隅田川橋梁をくぐり、650m程歩くと言問橋になります。隅田公園と隅田川の上を通る長い橋です。言問通りを渡します。東京スカイツリーが単独で見られます。
更に上流側に進むと、パワースポットで有名な今戸神社があります。
(時間帯から、かなり逆光となってしまいました)
途中の河畔からも移動する度に変わる風景を楽しみながら眺めることが出来ました。桜の時期には隅田公園の桜を楽しみながら行く人で賑わうと思います。
「本郷も かねやすまでは 江戸の内」、本郷三丁目の交差点にある洋品店「かねやす」さんには川柳の看板が掛かっています。これは江戸時代の川柳だそうです。ブラタモリによると、 この辺りを境に華やいだ風景が郊外の風景に変わったそうです。
「かねやす」文京区教育委員会の説明書き
兼康祐悦という口中医師(歯科医)が、乳香散という歯磨粉を売り出した。大変評判になり、客が多数集まり祭のように賑わった。(御府内備考による)
享保15年大火があり、防災上から町奉行(大岡越前守)は三丁目から江戸城にかけての家は塗屋・土蔵造りを奨励し、屋根は茅葺を禁じて瓦で葺くことを許した。江戸の町並みは本郷まで瓦葺が続き、それからの中仙(中山)道は板や茅葺の家が続いた。
その境目の大きな土蔵のある「かねやす」は目だっていた。
『本郷も かねやす までは江戸のうち』と古川柳にも歌われた由縁であろう。
芝神明前の兼康との間に元祖争いが起きた。時の町奉行は、本郷は仮名で芝は漢字で、と粋な判決を行った。それ以来本郷は仮名で「かねやす」と書くようになった。
本郷通りの三丁目交差点から東大の赤門の方面へ向かう中山道には、僅かな勾配の凹凸があります。 ここには「別れの橋跡 見送り坂と見返り坂」の設置看板があります。
「別れの橋跡 見送り坂と見返り坂」文京区教育委員会の説明書き
「むかし太田道灌の領地の境目なりしといひ伝ふ。その頃追放の者など此処より放せしと・・・・・・いずれのころにかありし、此辺にて大きなる石を堀出せり、是なんかの別れの橋なりしといひ伝へり・・・・・・太田道灌(1432~86)の頃在任など此所よりおひはなせしかは、ここよりおのがままに別るるの橋といへる儀なりや」と『改撰江戸志』にある。
この前方の本郷通りはややへんこんでいる。むかし、加賀屋敷(現東大構内)から小川が流れ、菊坂の谷にそそいでいた、『新撰東京名所図会』(明治40年刊)には、「勧業場本郷館(注・現文京センター)の辺は、地層やや低く、弓形にへこみを印す、其くぼめる所、一条の小渠、上に橋を架し、別れの橋といひきとぞ」とある。
江戸を追放された者が、この別れの橋で放たれ、南側の坂(本郷3丁目寄)で、親類縁者が涙で見送ったから見送り坂。追放された人がふりかえりながら去ったから見返り坂といわれた。
今雑踏の本郷通りに立って500年の歴史の重みを感じる。
この先には東京大学の赤門があります。赤門付近には江戸時代に加賀金沢前田家の上屋敷があった場所です。
文政10年(1827年)に加賀13代藩主前田斉泰に嫁入りした11代将軍徳川家斉の息女溶姫(やすひめ)のために建てられた御守殿門です。将軍家から嫁入りがあった時には朱入りにする習わしがあったそうです。
この婚礼には『武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)』に登場する加賀藩御算用者である猪山家が婚礼準備係として赤門の創設にも深く関わっています。
武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)
本郷三丁目付近だけでも面白い場所です。
文京区大塚にある真言宗豊山派大本山「護国寺」に行って来ました。
すぐ隣に日本大学豊山高校(知人の出身校)があるのですが、護国寺によって明治20年に設置された中学林・大学林が前身だったようです。
護国寺は徳川綱吉が母親、桂昌院のために天和元年(1681年)に創建したそうです。江戸三十三箇所観音霊場の第13番札所です。
関東大震災や東京大空襲などの災害にあいましたが観音堂は残り、重要文化財になっています。単層の入母屋造りの屋根をもつ大木造建造物です。
仁王門です。本堂と同様に元禄期に建立された可能性もあるとのことです。門正面両脇に金剛力士像(吽形、阿形)があります。
仁王門を過ぎると石段の中腹に不老門があり、本堂(観音堂)に続きます。三尾邦三氏の寄進で昭和13年4月に亀山茶碗の記念として建立されたそうです。両脇にはツツジやサツキが植栽されています。
不老門を潜ると、本堂が見えてきます。
本堂
護国寺裏の墓地には三条実美、大隈重信、山県有朋らの墓所があります。
長い間、都内唯一の路面電車である都電荒川線の旅をしたいと思っていました。
先日、三ノ輪橋から都電雑司ヶ谷まで都電を使って沿線を散策して来ました。早稲田まで全線乗りたかったのですが時間の関係などから都電雑司ヶ谷までとなりました。都電荒川線に乗ったのは10数年ぶりです。
発車のたびに「チンチン!」とならして走ります。
料金は大人160円、小児80円の均一料金で乗車の際に料金口に入れます。今回は何度でも乗り降りできる都電一日乗車券400円を購入しました。運転手さんに伝えて料金を払います。乗る時は運転手さんに乗車券を見せるだけですのでお得で便利です。
乗り降りが簡単で、日中は5,6分間隔で走っていますので途中下車も気軽にできます。
※路線の駅を( )で囲んで紹介します。
(三ノ輪橋駅)
近くには「ジョイフル三ノ輪」という400mの商店街があります。朝の早い時間でしたので開いていないお店が多く、お客さんもまばらでした。この商店街はパン屋さん、餃子屋さん、惣菜屋さん等、有名なお店が多いです。 食べ歩きしたい商店街です。
創業80年以上のパン屋さん「パンのオカムラ」に寄ってみました。出来たてのサンドイッチを買いましたが、本当に美味しかった!です。超大ベテランの店主が現役で働いていました。
(荒川一中前駅)
(荒川区役所前駅)
(荒川二丁目駅) 荒川自然公園
(荒川七丁目駅)
(町屋駅前駅) 千代田線町屋駅
(町屋二丁目駅)
(東尾久三丁目駅)
(熊野前駅)
(宮ノ前駅)
(小台駅)
(荒川遊園地前駅) あらかわ遊園
(荒川車庫前駅)
都電の色んな種類の車両を眺めることが出来ます。
車庫の横にある「都電おもいで広場」ですが、まだ開いていませんでした。旧型車両の「PCCカー」と「学園号」が展示されています。
開場:土・日・祝日の10:00から16:00まで (年末年始を除く)
(梶原駅) 都電もなか本舗 明美
(栄町駅)
(王子駅前駅) JR王子駅、南北線王子駅
JRと地下鉄の駅が近いため、乗り降りが多い駅でした。
運転手さんが「出発しまーす!ドア閉めまーす!」と言っても、どんどん走って乗って来ます。
「もう閉めまーす!」、最後には「無理です!無理です!」と言ってドアを閉めました。「すぐに次が来ますから大丈夫ですよー」と優しい声を掛けて出発しました。
専用軌道を走る区間がほとんですが、この区間は車と一緒に路面を走ります。坂を上ります。路面を走る区間はここだけです。
無謀な運転をする車がいて、都電の前を無理に右折して行きました。運転手さんはブレーキを掛け、警笛をならし、横目でその車をにらんでいるようでした。プロの目です。
(飛鳥山駅)
(滝野川一丁目駅)
(西ヶ原四丁目駅) 善養寺 染井霊園 ソメイヨシノ発祥の地
(新庚申塚駅)
(庚申塚駅)
とげぬき地蔵があるお年寄りの原宿「巣鴨地蔵通商店街」があります。とげぬき地蔵までは少し距離があります。
(巣鴨新田駅)
(大塚駅前駅) JR大塚駅
(向原駅)
(東池袋四丁目駅) サンシャインシティ
(都電雑司ヶ谷駅)
駅を降りると「雑司ヶ谷霊園」があります。夏目漱石、ジョン万次郎、永井荷風、小泉八雲などのお墓があります。夏目家の墓を見つけましたが立派なお墓でした。
雑司ヶ谷霊園から「雑司が谷旧宣教師館」(改装中でした)を通って、不忍通りに下って行きます。
住宅街の狭い下り坂を下って行きました。
不忍通りに出て左折、首都高をくぐり、護国寺に向かいました。
護国寺の門です。護国寺は別のエントリーで詳しく紹介したいと思います。
護国寺でお参りをして、正面の音羽通りを進むと左手に「群林堂」という豆大福の名店があります。折角なので2つほど買って、鞄にしまっていたところ潰れてしまいました・...。形が変わって時間が経っていたのですが美味しかったです。豆、お餅の堅さ、上品な甘さのつぶ餡とバランスが抜群でした。ほんとに美味しかったー!
※今回はここで有楽町線(護国寺駅)に乗り換え、都電の旅は途絶えてしまいました。次回、残りの路線を含めて早稲田近辺を散策したいと思います。
(鬼子母神前駅) 鬼子母神
(学習院下駅)
(面影橋駅)
(早稲田駅) 新江戸川公園、椿山荘、早稲田大学
都電についての思い込み、運転手さんが面白いことを言いながら運行すれば、TDLのジャングルクルーズみたいだと思いながら乗っていました。でも乗っているだけでも、なぜか楽しい電車でした。