坂本龍一、中沢新一 著 「縄文聖地巡礼」(木楽舎)を読みました。(現在、北海道、北東北(青森、岩手、秋田)で世界遺産登録を目指している「北海道・北東北の縄文遺跡群」は世界遺産暫定リストに記載され、登録推進の活動が進められています)


坂本龍一、中沢新一 著 「縄文聖地巡礼」(木楽舎)


梅原猛著「日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る (集英社文庫)」を読んで以来、縄文文化の深層に興味を持つようになりました。(「日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る」 (梅原猛)東北に宿す原日本文化に気付く復興への自負。) この本は東北の縄文文化を探る旅でしたが、「縄文聖地巡礼」は全国を巡ります。



「縄文聖地巡礼」は2010年5月に初版が出版されています。雑誌「ソトコト」(木楽舎)の2006年9月号から2008年1月号までに不定期連載された5回の内容に、新たなエピローグの対談を行って増補・改稿したそうです。

この本は装丁が素晴らしいことも特筆すべき点です。縄文の思想を現わすため、デザインや素材、作りに非常にこだわっています。
用紙やジャケットにはとても手触りがよくて柔らかい紙が使われています。「国家以前の、繊細でしなやかな縄文の思想や芸術をマテリアルで表現する」という意味があるそうです。
また、本を収めるスリーブが付いていて、堅い紙で土偶を意識したデザインになっています。こちらには「縄文の土偶や土器のように、空洞をもった筒」という意味があるそうです。

これらにより「縄文のプリミティブな強さと美しさを表現」しているそうです。あまりに素晴らしい装丁なので大事にしたくなりますが、何度も読みたくなる内容でした。紙が傷みやすいという欠点もありますが、まさに縄文の繊細さを肌で感じることが出来ます。


私にとってはYMOの印象が強い坂本龍一氏と人類学者の中沢新一氏が日本各地の縄文の聖地を巡ります。第1章 諏訪、第2章 若狭・敦賀、第3章 奈良・紀伊田辺、第4章 山口・鹿児島、第5章 青森と巡っていきます。中沢新一氏の著「アースダイバー」では東京の縄文地図をもとに土地の記憶に潜り込んで行きましたが、この本では全国各地の縄文聖地に潜り思想を深めていきます。

聖地での2人の対談がメインの内容になっています。その対談が刺激的であり、その土地が言葉や思想を引き出しているのだと思います。この旅は過去である縄文の聖地を巡るのですが、「未来への旅」なのです。

"縄文時代の人々がつくった石器や土器、村落、神話的思考をたどっていくと、いまの世界をつくっているのとはちがう原理によって動く人間の世界というものを、リアルに見ることができます。私たちがグローバル化する資本主義や、それを支えている国家というものの向こうへ出ようとするとき、最高の通路になってくれるのが、この「縄文」なのではないでしょうか。古代への情緒的な幻想を求める旅をしているのではありません。これは、いま私たちが閉じ込められている世界、危機に瀕している世界の先に出ていくための、未来への旅なのです。" ―10ページ

第1章 諏訪では坂本氏が「生命力のある死」を感じると語ります。狩猟採集生活では死によって生を得るのです。生と死、死があって生があることを現代人は忘れていることへの指摘でした。

"中沢 生きている人間の世界は、「ある」か「ない」かっていうバイナリ思考に陥りがち。でも「ある」でもなく「ない」でもない、もっと根源的な「生命力に満ちた死」があるわけで、それを組み込むと3の世界になっていく。世界はバイナリではなくトリニティの構造に変わっていく。"―45ページ



第2章 敦賀では「あいの神の森」という小さな聖域近くに建つ、原子力発電所「もんじゅ」に衝撃を受けます。原発を一神教の神様のあり方と重ね合わせます。贈与という概念を用いて、原発は自然から搾取するだけで返すものがないということに人間が忘れてしまったものを投影します。そして、一神教的な二者択一が現代の政治や科学を追い込んでいると坂本氏は話します。
諏訪で話していた3の世界の意味が切実にわかったようの気がしました。まさに、3.11による福島原発の惨状をみると、人間はどれだけ自然に負を与えてしまたったのだろうという無力感にさいなまれます。



第3章は奈良・紀伊田辺です。
東大寺のお水取りというお祭りに土着信仰、神道、仏教の継ぎ目が分かるような形で残っているという視点が面白かったです。意識的か無意識かは分かりませんが、混ざっているということを分かるように残したのだと思います。
紀伊田辺では南方熊楠の思想の深層に迫ります。熊楠は世界を回ったあと、自宅と熊野の森で粘菌の採集と研究を続けます。中沢氏はかたちあるものを分解する力がある粘菌に学ぶことは多く、熊楠の先見性だとしています。人間は科学技術で自然には分解できないものを大量に作ってしまっており、それをどうやって自然に返すかが重要な課題だからです。科学技術の発展により、自然に返すことが出来なくなってしまったものを数値化すれば怖ろしく膨大だったことに人間は気づくのかなと思います。

不謹慎になるのかもしれませんが、3.11の津波では黒い水が津波となって町を飲み込みました。黒い波は海底に溜まったヘドロであり、人間が海に流したものです。それを自然が押し戻し、現在、津波堆積物として土壌改良処理が行われています。自然の脅威があって、はじめて人間の行為に気づくのかなと考えさせられました。



第4章では山口と鹿児島を巡ります。近代をつくったという意味で長州と薩摩という言い回しで対談していました。
山口を訪れた年は現在と同じ、安倍晋三氏が首相を務めていた時期です。坂本氏は国のまとまりをつくろうとするときには長州系、弥生系の人たちが力をもつとしています。現在、安倍首相が就任したことも意味があったのかもしれません。
長州は北方系で水平的、薩摩は南方系で垂直的ととらえ、対立構造でありながら近代国家をつくりだした原動力にもなった点が日本のなりたちの複合性を表しているということのようです。
そして、この旅で「縄文時代」という区切りに疑問を投げかけていました。南九州では連続性が強いという視点です。東北においても狩猟採集の文化は長く続いていました。歴史学上は区切りが必要なのは分かりますが、この区切りのせいで分からなくなってしまっていることがあるのかなと思いました。日本人が本来持っていた多様性を忘れてしまう要因がここにあるのかなとも思います。



第5章は青森です。青森での2人の対談はどこかワクワクしたような高揚感に満ちた対談のように感じました。

"中沢 東北も九州も辺境という感覚がありますが、むしろ縄文時代には、先端的な文化の拠点として東北と九州がつながっている印象を受けました"―156ページ

小野牧野遺跡の環状列石をみて、「国家がいつ生まれてもおかしくない状態」にあったとしつつ、「国家の発生を抑える何かがあった」としています。人類が歩んできた国家や都市化というものに、違う道があったのではないかということだと思います。その道は縄文人が知っていたのだと思います。


少し逸れますが、青森市の三内丸山遺跡の写真が紹介されていた1枚に6本の巨木柱で組んだ"やぐら"のようなものがあります。この"やぐら"、岩手県一関市室根町で1300年前から続くと言われる祭り「室根神社特別大祭」で使用される"やぐら"に似ているのです。祭りのクライマックスに2つの神輿の先着争いが行われる"やぐら"です。6本の柱で"やぐら"を組んだものが2つ並べられます。室根山の土着信仰と神道が一緒になった祭りなのだと想像を膨らませてしまいました。仏教の要素ももしかしたらあるのかもしれません。縄文からの土着信仰の名残りが残った祭りだったのかと勝手な想像を浮かべました。
2007年 室根神社大祭 マツリバ行事
(2007年室根神社特別大祭マツリバ行事の様子。6本柱の"やぐら"が2つ並べられています)

大まかに言えば、国家や貨幣、科学、資本主義といった現在は当たり前のように存在しているものが、実は違う可能性もありながら生まれてきたということです。今一番の怖れは本来あるべき多様性というものを忘れ、都市集中となることによる危うさなのではないかとも思いました。

東日本大震災では沿岸部の縄文遺跡のほとんどが津波を免れています。被縄文人は漁労などの生産活動は海辺で、居住地は高台にしていたようです。自然と共存する知恵を持っていたのです。この様なことから、震災復興を考える上で縄文時代に学ぶことを提唱する動きが出てきています。今だからこそ、日本人の根底にあるものを掘り起こす時期にあるのかもしれません。