もんじゃと路地の街「月島」、佃煮と住吉神社の街「佃島」界隈を散歩して来ました。地図は最後に紹介します。
gon09DSC09393


はじめに佃島と月島の歴史に触れておきたいと思います。

佃島と月島の歴史

今は佃島と月島は一体化していますが、江戸時代は佃島しかありませんでした。そんな佃島も元々あった島を埋め立てにより拡張した島でした。現在の佃一丁目辺りが佃島だったようです。

佃島は江戸時代、漁村でした。住民は徳川家康の命で、大阪の佃村から移住してきた漁民です。

本能寺の変で織田信長が討たれた祭、岡崎城に戻ろうとする家康一行が神崎川(現:大阪市住吉区)で足留めを食らいます。この時、近くの佃村の漁民たちが漁船と、保存食の小魚煮を用意したという伝説があります。家康がその小魚煮を気に入って集団移転させ、「佃煮」を作らせたという説もあります。

佃島には、江戸末期に水戸藩が石川島造船所を創設しました。石川島造船所は石川島重工業株式会社となり、後に石川島播磨重工業株式会社となります。現在、工場は移転され、跡地は高層マンション(大川端リバーシティ21)となっています。

一方の月島は明治に出来た人口の島でした。隅田川の川底に堆積した土砂により船の運航に支障がでたため、浚渫工事が行われました。その際に出た土砂を処分するために埋め立てられて出来たのが月島です。

明治25年(1892年)に東京湾埋め立て1号地(月島)として佃島から先の砂州が埋め立てられ、続いて明治27年(1894年)に2号地(勝どき)、明治29年(1896年)に新佃島(佃2、3丁目)と続きます。昭和38年(1964年)には豊海町が完成しています

月島の名前の由来は、「月の岬」と徳川家康により称された月見の名所に因んでいるようです。

埋め立て当時は富国強兵の国策により、佃島の石川島造船所に関連する鉄工所や機械工場、海運業や倉庫が立ち並ぶ鉄工業地帯になったようです。同時に労働者が多く住む、住宅地という側面もありました。



月島の街歩きから紹介します。

月島西仲通り商店街(月島もんじゃストリート)

昭和初期まで、対岸との往来は築地と月島の間を渡す渡し船(月島の渡し)で行われていました。船着場に近い西側に人が集まったことから露店などの商いの場となり、現在の「月島西仲通り商店街」の原形となったようです。

月島西仲通り商店街(月島もんじゃストリート)
月島西仲通り商店街(月島もんじゃストリート)

もんじゃ焼きのお店が70店以上も並んでいる商店街です。
月島西仲通り商店街(月島もんじゃストリート)
月島西仲通り商店街(月島もんじゃストリート)
月島西仲通り商店街(月島もんじゃストリート)
月島西仲通り商店街(月島もんじゃストリート)
月島西仲通り商店街(月島もんじゃストリート)
月島西仲通り商店街(月島もんじゃストリート)


表通りがアーケードになっていて気付きませんが、この様な風格かる古い建造物が多く残っていました。こちらももんじゃ焼のお店になっています。
gon09DSC09309
この辺りも看板建築の建物です。
gon09DSC09329
gon09DSC09331

gon09DSC09332



月島の路地裏

月島西仲通り商店街には路地が多く、味わい深い路地裏の景色が多いのも特徴です。月島の路地裏
月島の路地裏
月島の路地裏
路地にも多くのお店があります。
月島の路地裏

木がトンネルのようになった路地です。
月島の路地裏
月島の路地裏

路地裏にももんじゃ焼き店が多く点在しています。路地裏でもんじゃ焼き店を探すのも楽しそうです。
月島の路地裏
月島の路地裏
月島の路地裏
月島の路地裏

かわいい猫が出てきました。路地には猫が似合います。
路地裏のねこ
路地裏のねこ
路地裏のねこ

月島観音(月島開運観世音)

月島西仲通り商店街(月島もんじゃストリート)の一角に「月島観音(月島開運観世音)」があります。
詳しくは(月島観音(月島開運観世音)に参詣)で。
もんじゃ店が立ち並ぶ中、参道の入口は月島サン・グランパビルの1階にあります。一度、気付かずに通り過ぎてしまいました。

月島観音(月島開運観世音)
月島観音(月島開運観世音)
参道にはお肉屋さんが営業していました。
月島観音(月島開運観世音)
月島観音です。
月島観音(月島開運観世音)


路地を歩いているだけで楽しくなる月島でした。月島をあとにして、佃島方面に向かいます。





佃小橋と佃住吉講

佃小橋は隅田川からの入江となる水路に架かる赤い橋です。水路は隅田川沿いの住吉水門によって水位調整が行われています。 住吉神社にも通じる水路で、橋を渡って左に曲がると神社があります。 奥に見えるビルは聖路加タワーです。
佃小橋

橋から下を見ると「佃住吉講」という看板が立てられています。江戸幕府に許可された由緒ある祭りである住吉神社の例大祭(佃祭り)で使われる大幟の柱や抱木が川底に埋められています。空気に触れて木が腐ってしまわないようにしているそうです。佃住吉講

水路の先には高層マンション群が立ち並び、水路は船溜まりになっています。左奥には住吉神社の本殿が見えます。




住吉神社

住吉神社の起こりは「天正18年(1590)家康公が関東下降の際、家康公の命により摂津国佃の漁夫33人と住吉の社(田蓑神社)の神職平岡大夫の弟、権大夫好次が分神霊を奉戴して江戸に下り、寛永年間に幕府より鉄砲洲向かいの干潟を賜り、築島工事を起こし、正保2年に竣工し、元の名から佃島と名付け、住吉明神の社地を定めて、正保3年(1646)6月29日、住吉三神、神功皇后、徳川家康公の御霊を奉遷祭祀しました。これが佃住吉神社の起こりです」と縁起にあります。詳しくは(船の安全と油の神様「住吉神社」)で。
住吉神社
住吉神社

住吉神社界隈を取り囲む水路です。左側の緑は佃公園です。
gon09DSC09449



佃煮屋(田中屋、天安)

江戸創業の佃煮屋さんが2軒あります。本家「佃源 田中屋」と元祖佃煮「天安」です。どちらも店構えに歴史を感じます。

こちらが本家「佃源 田中屋」です。gon09DSC09485
gon09DSC09484


こちらが元祖佃煮「天安」です。
gon09DSC09478
gon09DSC09481

どちらに入るか迷いましたが、今回は「天安」さんで佃煮を購入しました。イカの佃煮を量り売りで買ってきました。
gon09DSC09500
これがイカの佃煮です。イカの風味を感じられるとても美味しい佃煮でした。
gon09DSC09509



隅田川

石川島灯台があった場所に建てられたモニュメントです。
石川島灯台
江戸時代末期の佃島・石川島

佃大橋
佃大橋佃大橋は隅田川最後の渡船場だった「佃の渡し」の位置に、戦後初めて隅田川に架けられた橋です。昭和39年(1964年)の東京オリンピックに備えて整備された関連道路の一つです。

佃大橋

中央大橋と東京スカイツリーgon09DSC09477[4]
中央大橋と東京スカイツリー平成5年(1993年)竣工の新しい橋です。隅田川はフランスのセーヌ川とに友好河川を提携していることから、フランスのデザイン会社に設計を依頼して作成されました。

中央大橋と東京スカイツリー



亀島川水門
亀島川水門亀島川は日本橋川から分かれて隅田川に合流する長さが1kmの川です。上流の日本橋川との合流点には日本橋水門があり、下流の隅田川との合流点にあるのが亀島川水門になります。高潮や津波の際には、両水門を閉鎖して流域住民の生命や財産を守ります。


亀嶋川水門と水上バス
gon09DSC09471



勝鬨橋
勝鬨橋昭和15年(1940年)竣工の橋です。埋め立てが完了した月島に石川島造船所や鉄工所などが多くでき、交通需要が大幅に増えたことにより計画された橋です。勝鬨橋の完成で、渡し船「月島の渡し」は役目を終えます。
橋の両端部はアーチ橋となっており、中央部が上方に跳開する構造となっています。昭和55年(1980年)に跳開は終了しています。





佃大橋を渡り、佃島と月島をあとにしました。gon09DSC09495
gon09DSC09498

佃大橋から振り返ると、高層ビル群が見え、下町風情が残る月島の印象とは違って見えました。江戸時代に出来た佃島、明治に出来た月島、歴史的には新しい街ですが、ノスタルジックな雰囲気を残す街だと思います。

地図