崎谷満著「DNAでたどる日本人10万年の旅 多様なヒト・言語・文化はどこからきたのか?」(昭和堂)を読みました。

DNAでたどる日本人10万年の旅 多様なヒト・言語・文化はどこからきたのか


日本人の起源、ルーツを探ることが大事ではないかと思っているところであり、こちらの本を手に取ったしだいです。この本は坂本龍一、中沢新一著の「縄文聖地巡礼」(木楽社)の中で紹介されていました。
読書「縄文聖地巡礼」(坂本龍一、中沢新一)

DNA多型分析・考古学・言語学の知見を学際的に統合して日本人のルーツを探っていきます。参考文献がかなりの量であり、多方面から追い求めています。
この本の目的は「日本列島におけるDNA・言語・文化の多様性を分析することで、その意義を示す」ことだそうです。

DNA多型分析では多様な種のDNA型が共存していたことが分かります。出アフリカの3つの系統の人集団が全世界に散らばったわけですが、世界のほとんどの地域では2系統だけが残っているそうです。しかし、日本列島には3系統が残っています。このことは互助による共存が続いてきたことを示しているという主張でした。
多様な人集団が残った背景には温暖な気候と豊富な食料を要因の一つとしてあげていました。


DNAに続き、言語や文化の多様性の分析を進めたあと、多様性喪失の要因として国民国家という概念をあげているところが興味深かったです。

多様性維持の重要性については以下の通りに示しています。

"このようにさまざまな文明・文化が流れてきて、それらが相互に排除することなく、平和共存してきたのが日本列島の実情ではないかと思われる。それぞれのヒト集団のホームランドでは祖先のグループは絶えてDNAすら残していない場合がほとんどだが、この日本列島は大陸での弱者集団、負け組が生き残って現在までいたることができたという優しい環境を提供してきた。このDNA、文化、言語の多様性維持は日本列島の伝統的な価値であり遺産である。二一世紀という殺伐とした世紀の中で、この多様性維持という伝統は新たな価値を提示できる・・・・" 151ページ



以下、ちょっと飛躍と妄想です。

このような多様性が残った背景には何があったのかを考える必要があります。先住的な縄文人がいた日本列島に水稲技術をもった渡来系弥生人が大陸から少数ずつ入ってきたようです。多様性が示すことは、弥生人の侵略により先住的な縄文人が居なくなったとは言えないということです。むしろ、新石器時代に入ってきた縄文文化を担う先住系ヒト集団のDNAが日本列島には高い頻度で残っているようです。

縄文人は柔軟に渡来系弥生人の水稲技術を受け入れていったのだと思います。この辺りも現在の日本人につながるものがあるように思えます。

筆者が言うように豊かな自然と食料があることから争う必要がなかったのかもしれません。相手がいなくなれば、独り占め出来るはずであり、侵略による独占も一つの戦術であるはずです。しかし、お互いを信頼する何かがあったのか、お互いを裏切らないことの方が優位であるという安心があったのか、悩むところです。

いずれ、共存を選ぶという日本人的な精神構造はこの時に生まれたのかなと思ったしだいです。新自由主義的な競争社会は日本人には合わないのかもしれません。

縄文人の文化や知恵はとても優れたものだったのだと思います。東日本大震災では岩手県の沿岸部にある縄文遺跡のほとんどが津波被害を免れています。自然と共存する高度な知恵を持っていたのだと思います。

共存を選んだという日本列島の先駆者たちに学ばなければならないことが多いように思えます。日本列島の先住者である縄文人についてもっと知りたいと思います。