岐阜大仏
日本三大仏の一つにも数えられる岐阜大仏、奈良や鎌倉の大仏とは違った雰囲気感じる大仏です。乾漆仏としては日本一の大きさを誇っています。天保3年(1832)に、38年を費やして完成しました。


正法寺の文化財金鳳山正法寺は、元禄5年(1692)に創建された黄檗宗(おうぼくしゅう)の寺院です。

"正法寺の文化財
 金鳳山正法寺は、この地に1683(天和3)年に開山始祖・廣音和尚が草庵を結んだことに始まり、1692(元禄5)年に千呆和尚を開山に迎えて創建された黄檗宗(おうぼくしゅう)の寺院です。江戸時代以来の境内地を現在も継承しています。
 国重要文化的景観 長良川中流域における岐阜の文化的景観(重要な構成要素) 平成26年3月18日選定
 日本遺産 「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜(ストーリー構成文化財) 平成27年4月24日認定

岐阜県重要文化財 昭和49年3月6日指定
籠大仏附木造薬師如来坐像(かごだいぶつつけたりもくぞうやくしにょらいざぞう)
(籠大仏)像高13.7m
(薬師如来)像高61cm 台座23cm
 江戸時代後期に、塑像・漆箔により造立された国内最大規模の籠大仏です。第11代の惟中和尚と、第12代の肯宗和尚の2代にわたる約38年の歳月を費やし、1832(天保3)年に開眼供養が行われたと言われています。
 大仏は、胎内の骨格を木材で組み、竹材を編んで外形を作ります。その上に粘土を塗り、惟中和尚が各地で集めた一切経を貼り付け、さらに漆と金箔を重ねて仕上げています。また、「大真柱」と呼ばれる周長6尺(直径約57cm)の銀杏の木の柱を大仏の背面に建て、台座から胎内を通して大仏殿第三層の下部まで垂直に立てて支えています。
 籠大仏の胎内仏として、桧材を用いた一木彫成の薬師如来坐像が安置されています。右手は施無畏印を結び、左手は屈臂して左膝の上に置き、薬壺をもち、二重の蓮華座に結跏趺座した姿です。姿や顔立ちから、平安時代後期の製作と推定されます。

岐阜県重要文化財 昭和49年6月12日指定
木造阿弥陀如来坐像
 籠大仏の御前立で、平安時代後期の製作と推定されます。桧の一材から彫り出し、底部に深く内刳りがなされています。上品上生印を結び、二重の蓮華座に結跏趺座した姿です。
 全体に一木造りの重厚さを遺し、和様を穏やかにまとめた表現がなされています。

岐阜市重要文化財 平成27年4月7日指定
正法寺大仏殿
 明朝様式と和様が融合した江戸時代後期の建物です。大仏の構造上、大仏を造立する段階から風雨を凌ぐ覆屋が不可欠であることから、大仏造立と併行して大仏殿の造営が進められたと考えられます。
 大仏殿の中心部には、高さ13mを超える大仏を納めるために、大きな空間が形成されています。また、大仏の周囲を巡ることができる構造の回廊など、他の大仏殿に無い特殊な形態が見られます(回廊は通常使用できません)。
 1876(明治9)年、第13代の掬泉和尚のもとで有志を募って大仏殿の大修理が行われ、現在の姿に改築されました。

平成28年3月 岐阜市教育委員会"

正法寺大仏殿
岐阜大仏堂は高さ25.15m、廻り19.39m。1876(明治9)年に大修理が行われ、現在の姿になっています。


岐阜大仏:籠大仏附木造薬師如来坐像
岐阜大仏大仏は高さ13.7m、顔の長さ3.6m、耳の長さ2.1m、鼻の高さ0.4m。直柱にイチョウが使われているそうです。骨格は木材で組まれ、外部は竹材と粘土で造られてります。その上には一切経、阿弥陀経、法華経、観音経等の経典が書かれた和紙が貼られ、漆を塗った上に金箔が施されています。構造から別名「籠大仏」と言われています。

胎内仏として薬師如来がまつられているそうです。

岐阜大仏
岐阜大仏
岐阜大仏

岐阜大仏

五百羅漢像
岐阜大仏五百羅漢
岐阜大仏五百羅漢大仏を取り囲むように両側には五百羅漢像が鎮座しています。

地獄絵図
岐阜大仏
岐阜大仏
岐阜大仏大仏の後ろにある通路には地獄絵図が掛けられていました。薄暗い中でみると怖いものがあります。



やさしい笑みを浮かべたような表情でありながら、荘厳さを感じる大仏でした。